北九州市立大学同窓会

支部組織

萩・美祢・長門支部

母校を訪ねるツアー

 「ここは確か運動場じゃったはずだが……」「俺たちのころはコンクリートの建物はなかったど」「昔は広く感じたけどのォ」。

 口々に言葉に出るのは20 年前、30 年前に同じ場所であったろうと思われるキャンパスの一角にたたずんでのこと。かつての面影はなかった。

 私達は萩・長門・美祢支部の「母校を訪ねるツアー」を計画し、発展著しい今の北九州大学をこの目で、この足で実感することになった。

 平成5 年10 月30 日の土曜日、萩市役所前を9 時30 分に出発した。途中、長門市、美祢市を経由し、それぞれの所で待っている会員に乗ってもらった。広域の支部らしいところである。

 北九州都市高速道路のインターチェンジを降りるとすぐ「北九州大学」の表示板が目に入った。 「俺は若園町に下宿しちょったけど、この辺は家が数軒 しかなかった……。今は都市高速の下か……」。バスの中からあまりにも変貌した街の姿に感嘆の声しきり。 正午ちょうど、正門にバスが入る。

 北九州大学同窓会 本部の新井幹事長が出迎えて下さった。大学本部から4 号館へ。ここで説明を受けた。皆、どこがどこだかわからぬ様子。6号館の大学院を抜け、通用門の大島初代学長の胸像の所へ出た。

 ここではじめて昔の、いや当時の 北九大のイメージが頭に浮かんできた。 「俺はここから出入りしよったけど」。感激の面持ちである。私達の時代は、今の食堂、5 号館、サークル会館、同窓会館の所に兵舎型の木造校舎が唯一の校舎だったような気がする。

 2号館から建築中の新校舎工事現場を見下ろす。14 階建ての壮大な校舎をイメージする。 「新校舎が完成したらまた来ようや」。バック・トゥ・ ザ・フューチャーそのままに、過去、現在、未来を同時に体感した一瞬であった。

 時あたかも大学祭。キャンパスは若き後輩たちが思い思いの店を開いていた。当時、学生自治会の財政部長を していたという嶋田は特になつかしそうであった。同窓会館でお昼をいただいた。温かい歓迎ぶりに私達は頭が下がった。

 昼食のあと、青嵐グラウンドまで足を延ばし た。後援会館で支部総会を開いた。「あの寺はなつかしいな」「蒲生のこの辺りにはまだちょっと田んぼがあり、 よ〜く見ると当時を思い出すことができる」。

 広々とした青嵐グラウンドを後にして、バスはリーガロイヤルホテル小倉に着く。北九州市が国際都市として着々と発展している。それを実感できるのがこのホテルである。ロビーもホールも一流。ここで同窓会の総会、懇親会が開かれる。

 私達の支部は、懇親会に出席することも大きな目標にしてきた。「どうせ大学に行くなら当時の友達にも会いたい」「ひょっとしたら、当時の彼女に会えるかも知れない」。懇親会は盛大であった。最後の万歳三唱は、私達の支部長、多田が締めくくった。

 心地よいツアーであった。大学、後援会館、懇親会とメニ ューの多い一日であったが、平成5 年のメモリアルデー になった。これもひとえに同窓会本部の実に温かい歓迎、 お心遣いがあり、とりわけ、新井幹事長には終日おつきあいいただき、感謝している。

那須 正幸(30 ・米