北九州市立大学同窓会

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支部組織

小倉支部

小倉支部の発足

 小倉支部は、母校の膝元である。同窓会本部の結成が 昭和26 年であるから、32 年の支部発足はかなり遅れてい る感じはするが、その頃までは全国各地の支部も、ほと んど結成されていないので、本部総会といっても、出席 会員のほとんどが、地元小倉の同窓で占められていた。 毎年開かれる本部総会で顔を合わすので、それほど支部 結成の必要を感じなかったと思われる。

  小倉支部発足当時の記録らしいものは、あまり残って いない。小倉支部は当時小倉市役所勤務の同窓が多く、 その人たちを中心に、皆川節夫(24 ・専米)、嶋田保 (24 ・専米)、服部昭(25 ・専中)、野田良治(32 ・短、34 ・米2 )、石田凉三(26 ・専中)、阿部行照(24 ・専中)、 堀山和夫(24 ・専中)、白石剛(29 ・短、31 ・米)など が支部活動に参画している。支部総会の会場は、紫水会 館や旧小倉市役所の地下ホールを利用している。

 支部長・堀山和夫は、発足当時を振り返り「会費制によらず 本部からの補助や寄付金により運営を行っていたため、 会員との連絡も満足にとれず、苦心しながらの誕生と運 営であった。最も苦労したのが名簿の作成であった。当時小倉在住は600 人とも800 人ともいわれていたが、本部 にも整備された名簿もなく、本部の助成を得て案内状の 発送や出席会員の把握に努めた。それでも母校や後輩を 盛り立てようという愛校の精神は純粋であった。同窓意 識は旺盛で、総会に参加した同窓は若く、意気に燃えて いて、実に頼もしかった」と述べている。

  35年は小倉市役所地下ホールで、当時小倉市役所の職 域親交クラブと併催で開いている。当時の林信雄小倉市 長、古野学長も来賓として出席され、本部から土谷会長、 島田幹事長などが出席している。本部総会対策、会員相 互間の情報交流が常に議事の中心であった。支部連絡所 は小倉市役所内で地区委員と三役で協議運営が行われて いる。

  堀山支部長を助け、主に運営にあたったのが白石剛、 山岸清男(32 ・商)などである。年を重ねるにつれ、出 席メンバーに固定化の傾向があらわれ、地元支部の宿命 でもあろうか、本部総会との重複問題、あるいは会運営 のマンネリ化が悩みとなってきた。そのため、ある時は 本部総会当日、大学の教室で支部総会を開催するなど、 努力が払われたが、悩みを解消する決定的な方法は見い だすことはできなかった。

  発足当時活躍していた役員が、転勤、社会的な分野で 多忙となっていくにつれ、支部活動が制約され、特に若 手活動家を本部役員に引き上げられるなどによって、支 部活動は次第に停滞するようになってきた。いま支部組 織の見直しと復活が最大の課題であるが、昔日のような 若手活動家の参加が切望されるところである。現在1500 人の同窓が各方面で活躍している。北区と南区に分ける 方法や、卒業期別、学部別の実行委員会による方式など 研究する必要があると新提案がなされている。発足以来 15 年余、支部の変遷はあったが、当初から支部長を引き 続き重任してきた堀山和夫氏の息の長い努力は、高く評価されてよい(25 年史から)。


 ○沈黙の続いていた小倉支部も昭和53 年8 月10 日、久し ぶりの総会がホテルニュー田川で開催された。地元支 部と本部総会との重複問題、あるいは、会運営のマン ネリ化、さらには、若手活動家の本部役員への吸収な どが重なって、支部活動が次第に停滞してしまったと いうのが、現状であった。 そうした折、総会は特に本部から地元支部としての 見なおしと復活を、熱心に要請されたこともあって、1,000 人とも1,500 人とも言われる支部在住の同窓生の ため、堀山和夫支部長(24 ・中)はじめ世話人一同、 支部再興に積極的に取り組んだ次第である。本部から は浜田会長、稲泉幹事長、児玉総務部長が出席、準備 期間の不足にもかかわらず100 人近くの参加者を得た。 総会は香月晴雄氏(32 ・短)の司会、堀山支部長の 挨拶、議長に白石剛氏(31 ・米)を選出し、議事がす すめられた。懇親会は浜田会長の挨拶、大塚勝美教授 (24 ・中)の乾杯で始まった。

  ○昭和58 年1 月5 日には北九州市役所支部と小倉支部合 同の同窓会が新年宴会をかねて小倉ホテルで開催され た。出席者130 人、本部からは土谷会長、山本副会長、 重枝組織局長などが出席、途中から谷伍平市長(当時) もかけつけられ「市立大学としての北九州大学が着実 に力をつけてきていることは私としても非常に嬉し い。今後とも大学の施設面の整備充実に努めていきた い」と力強い挨拶があった。

 ○昭和57 年7 月には今の「二水会」のはしりである「一 金会」が誕生した。場所は小倉飯店近くの中道ビル三 階、和風スナック「きくち」。会費は3,000 円、店長は 田代貞則氏(55 ・米)、石原学長、土谷会長などは毎 月皆勤、毎回20 数人が出席され楽しいひとときを過ご した。 そして「一金会」は場所を小倉ホテルに、また焼き 鳥屋に、次にワシントンホテルに移ったときには「二 金会」と呼び名が変わっていた。平成7 年1 月に「二 水会」に統合するまで小倉支部は「二金会」と「二水 会」の2 つの会が併催されていた。

 ○開学40 周年事業を迎える昭和60 年10 月の支部総会で新 役員が誕生した。

支部長 平 博之(34 ・中)
副支部長 其木 孝(34 ・米2 )リーダーシップ
永岡 啓征(39 ・商)年度別
下村 五月(36 ・商)総務、財務
益田 由美(57 ・米)婦人
豊瀬 達雄(32 ・商)職域
西村征一郎(38 ・商)企画
宮下 忠(37 ・商)広報
幹事長 中原 勝英(41 ・商)
副幹事長 松田 健(43 ・商)
会計 塩谷 博幸(37 ・商)
副会計 白江 隆(39 ・商)

以上のような役員で開学40 周年の支部の募金目標1000 万円を掲げた。

 ○昭和62 年2 月14 日、支部総会が行われ、宮下忠新支部 長(37 ・商)が誕生。おりしも開学40 周年の年、小倉 支部は予算も達成(1,113 万円、110 %)、支部会員の 意気上がる中、「K.B.B.」キャリオハワイアンズのメ ンバーが駆けつけて懐かしい曲を披露、いやがうえに も総会は盛り上がった。同時に平支部長は本部副会長 に就任。

 ○平成元年1 月21 日法華クラブで支部総会を開催。150 人以上の参加。

 ○平成4 年10 月24 日、小倉ホテルで支部総会を開催。90 余人の出席者のもと宮下支部長の勇退により平博之支 部長(34 ・中)が再登場。

 ○平成8 年4 月10 日、小倉ホテルで支部総会を開催。新 支部長に中別府昇氏(52 ・中)を選出。 新支部長が「若さとバカさ」を売り物に同窓会を仲良 しクラブとして捉え、精神的なつながりを、そして夢 を語り合える仲間づくりを目指すと挨拶。

 ○平成10 年4月8 日、小倉ホテルで支部総会を開催。中 別府支部長の続投、懇親会では「長年の懸案であった平成の卒業生、女性の同窓生が参加しやすい集いにす るという念願の第一歩を本日、歩み始めました」と支 部長の挨拶。事実、懇親会の120 数人の参加者の中に は平成の卒業生24 人、女性21 人が姿を見せ、いい意味 で今後の同窓会のあり方にも影響を及ぼしそうな勢い を感じた。総会終了後、役員会で「平成の会」を発足させた。これを機に、平成の会が主導で先輩方が補佐 役を努め、女性の輝く集いにしていければ、さらに活 気のある小倉支部になると信じている(北友会会報から)。