北九州市立大学同窓会

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支部組織

沖縄支部

沖縄県のスタート

 昭和44 年11 月の日米首脳会談で、沖縄の昭和47 年、核抜き本土並み返還が合意された。さらに、同年1 月、日米首脳会談で沖縄返還の期日が昭和47 年5 月15 日と決まった。27 年間に及ぶ米国の統治に終止符が打たれ、沖縄住民がひたすら求め続けてきた祖国復帰が実現したのである。ここに日本国民としての主権が回復し、日本の平和憲法が適用されることになった。 <

 しかし、依然として極東一を誇る嘉手納基地をはじめとして周辺の基地は存続されることになった。このような状況下で、他府県との格差を埋めるための経済基盤づくりをどのように進めていくかなど、多くの課題を抱えていた。ともあれ、政府は国家の慶事として、東京と沖縄で沖縄復帰記念式典を昭和47 年5 月15 日に執り行った。こうした一大世変わりの中で、復帰の第一日目、通貨が1 ドル対305 円の交換レートで切り替えられた。そのことは、日本復帰がいよいよ現実的なものとしての感触を深めるものだったが、その後の経済的混乱や自衛隊配備による将来への不安をかき消すには至らなかった。

 沖縄の日本復帰を記念して、植樹祭(昭和47 年11 月26 日)、沖縄特別国民体育大会(若夏国体、昭和48 年5 月 3 日〜6 日)、沖縄国際海洋博覧会(昭和50 年7 月20 日〜51 年1 月18 日)が開催された。 新生沖縄県は、復帰前後の激動期を経て、米軍基地依存経済からの脱却を図りつつ発展を遂げてきたが、今日、その経済社会の自主的発展に向けて新しい段階に入った。こうした状況の中で、今後解決すべき多くの課題を抱えているのが現実の姿である。

 その一例として、数多くの離島から構成されているなどの地理的、自然的条件を有すると同時に、広大な米軍基地(日本国内で展開する米軍基地の75 %が沖縄に集中している)が存在するなどにより、厳しい土地利用上の制約を受けている。半面、沖縄は、亜熱帯性気候と東南アジアへの南の玄関口にあたる地理的条件も備え、今後、開発が期待される広大な海域があるなどの有利な条件がある。この特性を活用し、陸域とその周辺海域を含む県土資源の有効かつより効果的な利用を図る必要がある。

 沖縄県の観光地は、400 年にわたって琉球王朝が本拠とした首里城がほぼ完全な姿に復元され、沖縄最大の観光施設になった。首里城公園は、本土復帰20 周年にあたる平成4 年、国営公園として整備・公開された。また、日本軍が最後まで立てこもり、沖縄戦の終結地となった摩文仁丘に開かれた平和祈念公園、南側は国立沖縄戦没者墓苑と慰霊塔が林立するエリアがあり、北に接して沖縄平和祈念堂がある。空は青く、珊瑚礁の海がエメラルドグリーンに輝き目に痛いほど白くまぶしい砂浜のビーチが横たわっている。こうした美しい自然景観に加えて、 伝統に育まれた郷土の民芸や民謡、古い時代からの文化を伝える城跡、記念碑、墓地の群れは、沖縄を訪れる人達に深い感銘と安らぎを与えることだろう。