北九州市立大学同窓会

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支部組織

直鞍支部

より多く集い、より有意義な支部への模索

 昭和52年12月15日発行の『北友会会報37号』に「直鞍支部発足」の見出しで、「昭和52 年10月29日、直方・鞍手支部が発足しました」と3行の報告記事が載っている。

 残念ながら、支部には発足時の記録は全くない。向野昭三(28・中)によると、「初対面に近い原田優さん (24 ・専米)から、支部をつくるので出席されたい、と通知があった。直方の先輩の小川賢造さん(24・専米) と相談して出席した。確か20人くらいが、市内の中華料理店の二階に集まった」という。

  だが、初代支部長だった原田は、定年退職後、平成10年3月23日、病没した。したがって、どういう経緯で支部結成の運びになったのか、おそらくは本部から要請があったと思われるが、今となっては確かめるすべはない。

 その発足を知らせる会報のわずか3行の記事に、感嘆符『』がつけられているのは、もしかして、「直鞍にも、やっと同窓会支部ができた」と、ということだったのではないだろうか。

 原田は、中心地の直方市ではなく、隣の小竹町に住んでいた。支部規約によって支部長宅を事務所にしたから、何かと不便だった。人の集まりやすさが条件になる組織づくりには、物理的にも困難が伴っただろう。

 手元にある平成10年4月現在の本部資料「同窓会員一 覧」によると、直鞍地区に住んでいる会員は235人である。その後の物故者2人と同11年3月の卒業者11人を加減すれば、11年3月現在で244人となる。このうち、実際に地区内で就職、自営あるいは結婚して家庭人となっているのが確認できたのは56人でしかない。住まいは直鞍地区だが、地区外に勤務しているのは52人である。残り136人は連絡しても反応がない。

 支部が発足した昭和52年当時の会員は78人である。そのうち、地域内に職を得ていたのはわずか28人に過ぎない。旧産炭地のひとつ、直鞍地区には、そのころ、学卒者を雇い入れる企業や事業所は極めて少なかった。したがって、職を得るためには、地区から出ていかなければならない。いわゆる人材供給地というわけだが、それはまた、産業・経済活動の後進地の別名でもあった。