北九州市立大学同窓会
支部組織
直鞍支部
直方市役所グループが主流
地区で最大の事業所は、職員数約600人の直方市役所であった。果たして、その28人のうち、9人が同市役所の職員であった。ひとつの職場に9人も同窓生がいれば、 親睦の集まりができるのは当然であろう。現在も支部としての届けはしていないが、市役所内には教育長の青柳剛機(43・商)、会計課長の樋口宏和(45・国文)ら同窓生約10人が集まる会がある。
直鞍支部が発足したのは、そんな状況のもとであった。 発足総会に集まった約20人とは、市職員以外で職・住が地区内の会員のほぼ全員ということになる。だが、このあとは、出席者は10人を切ることもあり、支部総会が開けない年もあった。
昭和53年には、総会が開かれた記録はない。原田は支部長を1期2年で退き、向野に引き継いだ。その引き継ぎのために、次の54年に第2回総会を開いたはずだが、その記録もない。
だが、55年10月12日、直方市内の料亭・広で開いた第3回支部総会の模様を伝える『北友会会報43号』によれば、「出席者が14人と例年になく少なかったことは、非常に残念……」とある。というわけで、第3回には第1回に続いて20人近くが集まったことが分かる。
その第3回総会には、原田、椎木、小川と外専組3人が出席した。『会報』はその模様を「新旧の顔ぶれがそろい、思い出話に、楽しいひとときを過ごした」とある。 新しい顔ぶれといっても、外専組に近い時期の大学組の会員が主に出席し、もう少なくなった共通の思い出話を楽しんだ、というわけだった。
その時の大学組には、直方市立福地小学校長・福永和幸(29・米)、市水道局次長・佐々木淳(33・米)、のち水道局長、ケアハウスめぐみ施設長・大坪輝明(33・商)、 丸北産業の旭義彦(36・商)らがいた。 この席で、向野支部長は、組織拡充についてひとつの方向を打ち出した。これまで女性会員の参加が1人もなかったことから、あいさつのなかで「(本部)婦人部の発足にあたり、支部でも女性の参加と協力を呼びかけたい」と述べた。 56 年の第4回総会は、『北友会会報46号』に「12月5日、『レストラン・四馬路』で12人の出席のもと開催」 とだけ記録されている。
第5 回総会は3年後の59 年1月 22日、直方市内の中華料理店・一竜会館で開いた。出席者はさらに減って8人だった。しかし、女性への呼びかけに応じて飯塚商業高校校長の帆足美津子(35・米)が 女性として初参加し、支部婦人部長に選任された。 第6回総会は、60年11月16日、直方市役所前のレストラン・阿香幸多奈に支部会員13人が出席して開かれた。この席で、本部から開学40周年記念事業基金募集への協力要請があり、それを受けて支部から会員に応募を呼びかけることを決めた。
後日、第6回総会出席者らで、会員宅を回って趣旨を説明し、募金を勧めたが、苦労の割には効果は上がらないままに終わった。
なお『北友会会報52号』によると、「今回(第6回総会)は紅一点の東さん(59・中)が出席されムードも一段と……」とある。だが、「同窓会員一覧」には59年中国科卒の女性は見当たらない。いずれ、名簿の確認が必要であろう。
総会は、その後5年間ブランクが続いた。平成4年1月24日、市内の一竜会館に、本部から土谷清同窓会会長ら3人を迎え、支部からは13人が出席して第7回総会を開いた。