北九州市立大学同窓会

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支部組織

福岡支部

アジアの都市ナンバーワン 福岡市

平成11 年に市制110 周年を迎えた福岡市は、いうまで もなく政治、経済、文化、交通すべての点で九州の中枢 都市であり、アジアの交流拠点都市として、可速度的に発展している。人口も130 万人を突破、周辺市町村を含めた広域都市圏行政も福岡市の役目である。

一方、一昨年、香港の「アジアウィーク」誌が、「ア ジアの都市ナンバーワン」に選んだ福岡市は、国際都市 としても、2000 年の九州沖縄サミット蔵相会議の福岡開 催をはじめ、2001 年にはアジア太平洋都市サミット、世界水泳選手権大会が開催される。また、過去には1989 年、 市政100 周年を記念して、アジア太平洋博覧会「よかトピア」、1995年には、ユニバーシアード福岡大会が、そ して、毎年12 月には国際女子柔道選手権大会、福岡国際 マラソン選手権大会がそれぞれ開催されている。

中枢都市としての交通網も年々整備されている。平成 11 年春には、福岡都市高速2 号線 と九州自動車道太宰府 インターチェンジ間の6.3km と、同4 号線貝塚ジャンクションから粕屋出入り口間の4.5km が供用を開始した。 その結果、福岡都市部と1時間以内で結ばれる範囲は、 これまでの15 市37 町村から19 市45 町村と大幅に増え、佐賀県北部と熊本市の一部も1時間圏内に入った。また、 天神から南福岡に延びる地下鉄3 号線も平成18 年開通を めざして工事が進められている。

世界一便利な空港といわれる福岡空港の新国際線ター ミナルビルが、平成11 年5月に完成した。世界20 都市と の間に週約250 便が就航し、利用客は年間約230 万人、新ターミナルは、駐機スポットは10 機に倍増、年間利用客 400 万人まで対応できる。建物は4 層構造の波形で、延 べ床面積が7 万3 千平方m 、従来の国際線ターミナルのざっと2.5 倍の広さをもち、国際線専用ターミナルとし ては、国内では成田空港、関西国際空港に次ぐ規模とな った。

一方、明治32 年(1899 年)、国際貿易港として開港した 海の玄関、博多港は、1999 年に100 周年を迎え咸臨丸の 船内公開、豪華客船の寄港、アジア太平洋こども会議の 開催など多彩なイベントが行われた。

古来、福岡市は東アジア屈指の国際港湾都市であった。 それを実証する鴻臚館跡の本格的発掘調査が進められて いる。これまで確認された奈良時代から平安時代の三時 期の建物の変遷がより詳細に明らかになると同時に、旧 平和台球場の北から東にかけて入り込んでいたといわれ る海岸線や船着き場が確認されることも期待されてい る。

筑紫館と呼ばれていた奈良時代には、唐や新羅の国使、 遣唐使や遣新羅使など公人を接待し、平安時代に鴻臚館 と名を決めてからは、国が管理した貿易のために来朝する中国商人の宿泊施設に性格を変えている。鴻臚館は、 平安京(京都)、難波(大阪)と筑紫(福岡)の三カ所 に造営されたことが文献に記されているが、遺構の発見で裏付けられたのは、福岡の太宰府鴻臚館が初めて、11 世紀後半までおよそ400 年間にわたって国の迎賓館とし て重要な役割を担ってきた。

博多湾の入り口に浮かんでいる志賀島から発見された1世紀の「漢の委の奴の国王」の金印、そして鴻臚館の 遺構、これらの遺物遺構は、あたかも古代人が残したタイムカプセルのように2000年以上の昔から、博多港が朝 鮮半島や大陸との交流拠点であったことを教えてくれる。

現代に目を転じると、観光都市・博多にふさわしい観 光資源が次々と出現している。アジア太平洋博覧会のシ ンボルタワーとして建設された福岡タワー。プロ野球・ 福岡ダイエーホークスの本拠地として建設されたわが国 初の屋根開閉式福岡ドーム。西日本最大の多目的施設で あるマリンメッセ福岡。アーバンシアターをコンセプト に、12 階建てのホテル、7 階建てのコミュニケーション ビル、劇団四季の常設ホール・福岡シティ劇場などを備えた文化施設キャナルシティ。博多座、福岡アジア美術 館、ショッピングゾーン、ホテルなどを併設した複合文 化施設・博多リバレーン。アジア美術館の開館記念展 「第1 回福岡トリエンナーレ」は、21カ国・地域から多 彩な作家、作品が集まり、世界でも類を見ないアジア美術の未来を象徴する祭典である。

福岡シティ劇場、博多座、そして、吉本111 劇場、西鉄ホール、博多新劇座などの開設で、福岡の演劇熱が盛 り上がっている。中でも博多座は、歌舞伎やミュージカ ルなど多彩な演劇を上演できる演劇専用劇場としてはもっとも新しい。客席は格調高い三層構造で、1,490 席の 客席。平成11 年6 月に「柿葺落大歌舞伎」で幕開けし、7 月はミュージカル、8 月は宝塚歌劇星組公演と続いた。 毎年2 月は「市民檜舞台の月」と称し、「博多おどり」 など市民に広く開放している。

福岡は、中世から「芸どころ博多」として知られる文化都市であり、博多ッ子は祭り好きでもある。5 月3 日、 4 日の「どんたく松ばやし」、7 月1 日から15 日までの 「博多祇園山笠」、9 月の「放生会(ほうじょうえ)」が 博多三大祭り。このほか、1 月の玉せせり(筥崎宮)、 鬼すべ(太宰府天満宮)、十日えびす、10 月の博多くん ちなど一年中お祭りでにぎわう。

どんたくの前身は「博多松ばやし」。室町時代、町の辻々で素人芸を披露することから起こり、正月祝賀行事のひとつとして流行した。江戸時代になると、博多ッ子生来の祭り好きが高じ、松ばやしを繰り出し、藩主もこのときばかりは無礼講を許した。明治4 年、名称を「博多どんたく」と改めた。戦後、昭和21 年5 月25 日、博多 区奈良屋町の有志が極度の物資不足の中、どんたく隊を 繰り出した。翌22 年5 月には、福岡市、商工会議所をはじめ商店街、市民有志が力を合わせ、全市民が参加でき る復興第1 回のどんたく祭りが行われた。博多祇園山笠 の飾り山笠の絢爛さと、7 月15 日早朝の追い山の勇壮さ は、まさに圧巻であり、博多ッ子の真骨頂である。

ところで、福博の街が不況を吹き飛ばさんばかりに燃 えたのは、1999 年度プロ野球パ・リーグペナントレースで、開幕前の大方の予想を覆して、5 年目の王監督率い るダイエーホークスが9 月25 日、本拠地福岡ドームで初 優勝の快挙を達成したことだった。昭和38 年、かつての荒武者西鉄ライオンズが平和台球場で優勝して以来、実に36 年ぶりにフアンは熱狂した。

しかも、セ・リーグの覇者、中日ドラゴンズとの日本 選手権にも勝利を収めて、文字通り日本一になったのだ から福岡市、いや九州をより活性化したことはいうまで もない。

中洲で代表される夜の博多は、いまさら説明するまで もない。かつて、支店都市といわれた福岡には、東京、大阪をはじめ、全国各地から支店へ転勤してくるサラリーマンが多い。一年後には博多情緒の愛着がつのり、なかには永住を決め込む人も多いとか。「おきゅうと、なつと、よござっしょ」というおきゅうと売りの声で一日が始まる福博の街は、新しさと古さが一体となった緑豊かな大都会なのである。「自然と共生する花と緑の国際文化都市をめざして」をテーマに、福岡市緑の基本計画が発表された。緑豊かな住みよい大都市福岡の市民生活に、憩いや安らぎ、潤いを与えてくれる緑を、将来どのように守り、創り出していくのかの将来像や目標を掲げている。

河村 尚二(26 ・専米)