北九州市立大学同窓会

HOME > 支部組織 > 日田・玖珠支部 > 親睦会のご案内

支部組織

日田・玖珠支部

北九大バトミントン部と日田

 昭和25 年、森重一彦、福富哲伸、野原種明ら3 人が、 福岡県立築上中部高校から北九州大学へ進学した。 入学後スポーツ未経験者向けの部はないかと物色していたところ9 月になって、当時としてはあまり知られていない新しいスポーツであるバドミントン部ができるという。

 新設の運動部であれば私たちでも通用するのではないか、と私たち3 人はバドミントン部に入部した。 以後、バドミントン部は学年を追う毎に練習のかいあって3 年の時、九州インカレで男子は団体準優勝、翌年、 4 年のとき、創部4 年にして念願の男子・女子団体優勝の偉業を果たしたのである。

 この年、森重一彦(29 ・米、)は九州学生シングルのランキング第1 位になった。 野原(29 ・米)と福富哲伸(29 ・米、) は旧制中学、高校と山岳部に入部していた。2 人は当然大学でも山岳部に入部した。山岳部活動を通して日田地方をよく訪れた。

 ときには、森重を誘って3 人で日田地方を訪れたこともあった。 野原は、訪れる度に山紫水明のこの地に魅せられて、進路を教職と決め、赴任先をここ日田に求め第二の人生の永住の地と熱望していた。

 念願叶って、昭和29 年4 月、大山村立大山中学校(現在、大山町立大山中学校)に赴任できたのである。履歴書にバドミントンと書いたせいか、赴任してすぐ、日田教育事務所から、日田市役所の職員が30 人ばかりでルールも分からず、思い思いのバドミントンをしているが、なかなか上達しないので指導してくれないか、という依頼があった。

 勿論、二つ返事で 引き受けて、指導に出かけることにした。部員一同は盛り上がるような熱心さで、練習に打ち込んだ。興味も沸 いたのか練習の度ごとに上達した。一年ぐらい経ったこ ろ、技術もさらに上達したので当然、他流試合を希望し、近郊のチームと交流、さらに腕をあげた。

 そして、大分県民体育大会への出場を希望するようになった。 当時、中津市が県下のバドミントン界に君臨し、他市郡の追随を許さなかった。その中津市チームのリーダーであり中心的選手が、わが北九大バドミントン部を九州インターカレッジで見事優勝に導いた大黒柱の森重一彦であった。

 日田市部員の県民体育大会出場への意欲を叶え、さらに技術向上に役立てる意味で、森重を一日コーチに招いた。森重のエネルギッシュな動きから繰り出す豪快なスマッシュ、柔らかくして華麗なレシーブ、多彩な技術にただ驚くばかり、県体ではこういう人と試合をしなければならないのか、とただ萎縮するばかりであった。萎縮し、あ然としていた部員が、その日を境に自覚し、さらに熱心に練習に打ち込み、諸大会に出場して腕を磨いた。

 3 年足らずで、小生の技の届かぬ水準まで彼ら自身の努力でレベルアップしたのである。 部員の熱心な練習に呼応するかのように、北九大バドミントン部が合宿を日田に求めてきた。小生は大歓迎であったが、日田市内の地理に不案内であったので困っていたところに、市役所の部員が後輩の合宿の世話のため 積極的に動いてくれた。宿泊から練習場まで見つけてくれたのである。感謝、感激であった。合宿を通じての交流は4 、5年続いた。

 北九大バドミントン部の技術が日田市バドミントン部員のレベルアップに寄与したことは勿論である。北九大バドミントン部と日田市バドミントン部員との固い絆がここにできた。 部員のレベルアップと並行して、市民のバドミントン競技への興味関心が高まり、競技人口も多くなり、市内至る所で競技を楽しむ風景が見られるようになった。

 このことが、大分国体でのバドミントン種目の会場を 日田に決定せしめるに至った要因であったと聞いた。 国民体育大会で大分県のバドミントン競技の選手、一般男子・春武俊一(40 ・商)が日田市職員として採用された。

 さらに、教職員男子の佐藤紘一(41 ・米)が大分県教育委員会に採用になり日田市内の中学校に就職した。 高校男子の監督に森重一彦(29 ・米)が選ばれ、この3 人が北九大バドミントン部の存在を県下で有名にした。 野原は大分県の審判員として、高校女子決勝の審判を担当し後に協会理事長となった川端氏の主審で実施できたことの感激を今だに憶えている。

 大分国体では、大分県チームは春武、佐藤の2 人と福大出身のバドミントン選手が主力となり大活躍した。以降、日田市チームは県体で常勝を続けた。 45 年ごろ、大学バドミントン部OBの淵上英紀(34 ・ 米)、勝野雅文(35 ・商)、石井保(35 ・商)が大山町に来遊した。野原が部長を務める日田郡チームが合宿中で指導を受けた。その年の県体で日田郡チームが3 位の快挙を成した。

 北九大バドミントン部と日田は深い縁が続く。 日田支部は行政面では日田市、日田郡、玖珠郡の一市二郡での構成である。この三市郡の出身者は、同窓会本部の名簿では50 〜60 人は居ることになっている。

 しかし、実際に連絡がとれるのは20 人くらいである。他の同窓は郷里に名前だけを残して他郷に就職か居住しているのである。