北九州市立大学同窓会

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支部組織

福山支部

全国で40番目の支部として

多田三千男(34 ・米)

 支部結成に至る10 数年前から卒業生が毎年集まり、学生時代を懐古してきた。戦後の古い木造の兵舎の払い下げを受けた校舎は今では想像すらできない粗末な姿であった。同窓生達はうす暗い教室での講義やゼミの姿を思い浮かべ、当時を懐かしんできた。広島市や呉市には同窓生の数も多く早くから支部が生まれ、同窓生の交流の場となっていた。福山地区の同窓生も年ごとにその数が少しずつ増え、同窓会支部設立の機運が熟してきて、昭和62 年1 月15 日に全国で40 番目の支部設立となった。

 支部設立の第1 回総会は金子信光教授、御手洗博教授、河野徳治郎同窓会本部副会長、三浦従道広島支部長の4人の来賓をお迎えし、30 数人の同窓生が参加し、福山ニューキャッスルホテルで盛大に開かれた。総会では準備委員長・新谷義弘(33 ・米)の支部結成の喜びのあいさつから始まり、来賓の金子教授から「40 番目の支部として末長い活動を期待する」という主旨の祝辞をいただいた。御手洗教授からは、「昨年の支部結成準備会への参加から、早くも支部結成になった」ことに対し、支部設立8 人の世話係に対するお礼と、開学40 周年記念事業の母校発展のための1 億円募金達成の協力依頼があった。三浦支部長から、親戚のような福山支部誕生の祝辞と今後の発展に向かってお互いに一体となって同窓会発展のために頑張ろうという連帯のあいさつがあった。

 多田三千男(34 ・米)が支部設立に至るまでの経緯を詳しく説明。昭和30 年、40 年代には支部組織がない中で、同窓生名簿を調べ、手分けして案内し、同窓会を開いてきた苦労話と、同窓生が毎年増えている現状の報告があり、一同感激を新たにした。

 森勝己(36 ・米)から支部規約の提案があり、満場一致で承認され、初代支部長に新谷義弘が選出された。第1 回の支部総会で支部長から支部設立の喜びと、支部発展のために同窓生一同へ協力の呼びかけがあり、設立総会は盛会裏に終了した。

 以後、平成7 年まで、毎年1 回、平成8 年からは2 年 に1 回、総会を開き、同窓生各位の活動の現況報告と親睦の会を持ってきた。その都度、同窓会本部の活動指針の確認や、活動の協力を続けてきた。総会後の懇親会では、いつも話題の中心になることがある。それは昭和30年代の大学や町の様子、学生の姿である。掘っ立て小屋同然の北方の寮に入寮希望者が殺到していて入寮できなかったこと、当時の学生達の多くは貧しく、学生達は出来るだけ始末をし、ほとんどの学生がいろいろなアルバイトで生活費や学費の大半を稼いでいたこと、本気で学問に打ち込んでいる学生の姿が図書館にあふれていたこと、などであった。当時6 畳1 間が月1000 円、大学の食堂で1 食27 円、城野の街には米軍相手の街娼が多く、からかわれたり、からかいながら街を歩いたことなど昔話に花が咲いた。

広範囲にわたり、総会出席者が固定化
 福山支部は福山市、尾道市、三原市、府中市、因島市とその周辺の市町村と広範囲にわたり、お互いに顔見知りが少なく、総会への出席者が固定化する悩みがある。

 平成11 年現在、同窓生が280 余人に達した。今後、支部発展のために出席者を増やすことが支部にとっての課題であろう。同窓会の創立50 周年を迎え、大学の発展と同窓会の発展を心から願っている。

 なお、支部設立時の役員は次の通りである。

支部長   新谷 義弘      (33 ・米)
副支部   長多田 三千男   (34 ・米)
〃      藤井 春勝      (35 ・中)
〃      萱原 千恵子     (36 ・米)
幹 事    森 勝己        (36 ・米)
〃      竹鶴 康夫      (38 ・商)
〃      小林 紘二      (41 ・米)
〃      開原 算彦      (44 ・中)
会 計    長谷川 進      (47 ・米)
監 査    寺岡 清秀      (35 ・米)
〃      藤井 素行      (47 ・済)