北九州市立大学同窓会

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支部組織

兵庫支部

兵庫支部

 「兵庫支部を作ります」と村山昌生(34 ・米英)が宣言したのは、昭和61 年6 月28 日(土)に開催された関西支部総会の席上であった。同窓会への出席者のうち兵庫県居住の同窓生が十数人、当時兵庫県に在住する同窓生は500 人近くおり、支部設立の条件は十分に整っていた。

 村山は門司在住時代は本部の組織担当役員として各地の支部の事情にも詳しく、支部設立の手順は熟知している。さらに最初の支部を関西に設立し、支部長として多大の貢献をした大先輩の故岡村和倫(24 ・米英)が強力な支援者となり、その上同氏経営の七友商事には浜本昭治(24 ・米英)、山本省司(25 ・米英)、川村進(44 ・米 英)、小野成彦(50 ・経営)、牛丸敬孝(51 ・中国)、田中かほる(48 ・中国)、平良(井上)登美子(48 ・中国)、 村上(相川)三喜子(52 ・中国)と多数の同窓生がおり、 関西支部総会に出席していたその他の面々が、それぞれ神戸近在に居住の同窓生に呼びかけ兵庫支部設立に向け準備を開始した。

 数回の準備打ち合わせを経て、第一回の設立総会が開催されたのは昭和61 年10 月1 日である。神戸市東明閣で本部から皆川委員長と重枝組織局長を、関西支部からは加藤幹事長の出席を頂いて総勢25 人で開催された。

 初代支部長に村山昌生(34 ・米英)が選出され、副支部長に名越英昭(37 ・米英)、後藤公一(38 ・商)、会計に浅野康平(37 ・中国)、牛丸敬孝(51 ・中国)、幹事として川村進(44 ・米英)、松山仁(44 ・商)、森護(47 ・ 米英)、会計監査に平間正昭(37 ・商)、藤澤一範(38 ・ 中国)、永翁正臣(41 ・商)の役員が選任された。

 村山支部長の提唱で他支部に倣って月例会を開催することとなり「三金会」と称して毎月第3 金曜日に神戸マリナーズセンターに集い、相互の情報交換の場とした。 神戸港に停泊する外国船の船員が憩う場所として設立された施設で、2 時間ばかり飲んでだべって1000 円前後という格安の絶好の場所であったが、酔いが廻り興に乗れば声高に話し込む場合もあり、静かに憩う外国人達に迷惑を掛けることもしばしばで、後に神戸ワシントンホテル「ガスライト」、居酒屋「正屋」に場所を移し現在はJR 元町駅南の神戸プラザホテル1Fレストランパブ「フリージア」で開催している。

 毎回15 人前後の参加者があり、先輩後輩の堅苦しい雰囲気もなく和気藹々と、ゴルフ談議であれマージャン談議であれ、時には真面目にビジネス談議とざっくばらんな会合を楽しんでいる。

 この三金会は、支部総会・忘年会などの開催準備をしたり、本部からもたらされる各種情報が伝達され、その対応を決定する場となって、兵庫支部活動の根幹となっている。

 兵庫支部総会は原則毎年開催とし平成12 年6 月開催の総会で14 回目となった。多い時は70 人近くの参加者があったが最近は50 人前後の参加者があり、本部および関西支部からのご来賓出席を得て、なごやかなムードで懐旧談や世間話などの歓談で楽しいひとときを過ごしている。

 平成3 年4 月開催の第5 回総会では外専第一期生で昭和24 年卒の大先輩3 人が久し振りの邂逅を懐かしむ姿があった。支部第一号を立ち上げた岡村和倫(七友商事 (株)創設者)をはじめ、金山千治(合同製鐵(株)専 務−当時)、浜本昭治(七友商事(株)社長−当時)の3 人である。

 第7 回総会から参加者の動員を図るため、娯楽性のあるアトラクションを取り入れ、神戸のアマチュアジャズバンド「ザ・ビッグ・ディッパーズ」の軽快なスイングジャズやビンゴを楽しんだ。この総会の開催にあたっては、対中貿易関係者懇談会からの多額の寄付金により大成功を収めることが出来た。 同会は、対中国貿易業務に従事する同窓生(1970 年代 全国に約80 人)のうち関西在住の33 人による懇談会で、 1977 年12 月16 日「神戸第一楼」で初会合を開き、日中国 交回復後の状況と情報交換等で親睦を深め、その後、神戸と大阪で交互に必要に応じ開催されていた。その中心的役割を果たされたのが、当時関西支部長であった岡村和倫をはじめとする七友商事に勤務する同窓生であった。

 また、毎年春秋に開催されていた中国輸出商品交易会 (広州交易会)にも多数のOB が全国から参集し現地で商談の多忙の中、一卓を囲み情報交換等で楽しく親睦を重ねていった。その後、日中間の発展とともに日中貿易も変質し、同懇談会の開催も途絶えがちとなり、発展的解消を目指して同懇談会の収支残高約30 万円を全額兵庫支部の活動資金として寄贈された。

 第8 回総会では事務局長大村実良(33 ・商)の姪で演歌歌手の高橋真美の歌謡ショーを開催。江口現会長もデュエットを楽しまれまた。第10 回総会からは“のるか・そるか”の漫才コンビで活躍した「船仁のるか」のテンポの早い軽快な司会でより一層楽しいビンゴゲームとなり、第11 回総会では安徳信義(44 ・商)経営のインドレ ストラン「シャンティ」でピアノバー「ピアノ」経営の西勝二郎(38 ・米英)のピアノ演奏と同店常連客アマチュアボーカリスト白石三治子による懐かしいポピュラーソングで若き日々に思いを馳せた。

 平成4 年5 月開催の第6 回総会で支部創設・初代支部長として、3 期6 年間兵庫支部の基礎を築かれた村山支部長から2 代目支部長として堀江淳之(32 ・米英)が選任され、事務局長に川村進(44 ・米英)、幹事長に渡辺克彦(46 ・米英2 )、会計に小野成彦(50 ・経営)および牛丸敬孝(51 ・中国)を選任して、事務局を従来どおり七友商事(株)に置くことが確認された。幹事は三金会メンバーからその都度指名することとして、堀江体制が発足した。

 堀江支部長の提案でゴルフクラブを作ることとなり、 第一回目のコンペを2 組7 人の参加者で平成5 年6 月に開催。その後メンバーも増え、多い時は5 組20 人の参加者があり、毎年2 回春と秋に開催し、安徳信義(44 ・商) が世話役となり、平成12 年3 月開催のコンペで13 回目となった。

 渡辺幹事長の提案で兵庫支部の広報紙の発刊を計画、 同幹事長が編集長となり、ワープロを駆使して創刊号を平成5 年7 月16 日に発刊、その後平成8 年1 月19 日発刊 の第4 号まで続いた。渡辺幹事長の東京への転勤に伴い廃刊となったが、本人は兵庫支部に並々ならぬ郷愁を抱 き、広報紙に代わるホームページを立ち上げた。おそらく全国で最初の支部ホームページであり、おりしも京都 記念総会開催準備たけなわの時であったので、同窓生各位の関心を集めると同時に兵庫支部内にEメールクラブ を発足させる要因ともなった。

 囲碁クラブ、フィッシングクラブなども作ろうという動きはあるが、まだ定期的に開催出来るまでには至っていないが、近年のパソコン普及に伴い兵庫支部会員の中には自宅であるいは会社でEメールアドレスを所有する人が増えてきており支部総会開催時に収集したところ約 40 人がリストアップされた。E メールクラブの運営方法については模索中であるが、元幹事長の渡辺克彦(46 ・ 米英2 )作成の兵庫支部ホームページを引き継いで河野旺生(36 ・商)が新たに兵庫支部のホームページを開設 し、支部活動の中心である三金会やゴルフコンペなど写真を貼付してレポート、また本部の行事日程など詳細に情報発信しているので、同窓生の皆様にはぜひアクセスしていただきたい。

 URL はhttp://www.hi-net.zaq.ne.jp/kono Eメールクラブの初会合である第1 回のオフ会を平成13 年1 月三ノ宮で、これからパソコンを習いたいという人にも呼びかけて、総勢15 人が参加してノートパソコン3 台を持ち込んでのパソコン談議、これからの運営方法などを協議した。席上以前からの懸念事項であった「歩こう会」の具体化が進み、同会代表藤田博保(35 ・商)が 案内役となって、3 月中旬に六甲山登山初心者コースを計画、実施することとなった。

 平成7 年1 月17 日に発生した阪神・淡路大震災により 支部会員の多くが多かれ少なかれ被害を蒙ったが事務局をお願いしていた七友商事(株)入居のビルが被災し、 本部及び各支部の皆様にはご心配をお掛けするとともに、沢山の御見舞と励ましの言葉をいただき、この紙面をお借りして重ねて御礼申し上げたい。2 月17 日緊急幹事会を開催し対応策を協議するとともに、6 月には第9 回支部総会を開催し、支部会員全員に被災状況の報告をお願いして、本部および各支部から寄せられたお見舞金を被災程度に応じて配布した。

 平成10 年6 月の第12 回総会では 3 代目支部長として名越英昭 (37 ・米英)が村山初代支部長、堀 江2 代目支部長の築いた路線を引き継いで就任し、同窓生のネットワークを拡げるため、姫路を中心とする播州地区で平成11 年9 月11 日、姫路駅前のホテルサンガーデンを会場として播州地区同窓会を 開催した。開催にあたっては姫路在住の後藤公一副支部長(38 ・商)、永翁正臣幹事(41 ・商)の両名の熱心な呼びかけが効を奏し、播州地区から18 人、神戸地区から 9 人の参加があった。神戸で開催の支部総会には遠いので出席を見合わせたが、姫路なら近いのでと参加した人もあり、今後の支部活動のあり方を考えさせられた。

 因みに兵庫支部会員数(兵庫県在住者)は約780 人であり、地区別に見ると神戸・阪神地区に約63 % 姫路・播州地区に約30 % その他の地区に 約7 % 一方卒年別に10 年ごとに区切って見ると昭和24 年卒〜昭和33 年卒が約3 % 昭和34 年卒〜昭和43 年卒が約12 % 昭和44 年卒〜昭和53 年卒が約25 % 昭和54 年卒〜昭和63 年卒が約23 % 平成年度卒が 約36 %

 これまでの支部活動には40 年代以前の卒業生が圧倒的に多く、若い同窓生および女性の参加を如何にして増やすかが課題であるが、最近平成年度卒だけで集まってみようかという機運があり、将来が楽しみである。