北九州市立大学同窓会
支部組織
兵庫支部
スタート直後「スミレ会」2012年4月22日
神戸市三宮駅近くのおしゃれなレストランで、スミレ会の初
会合を持ちました。出席者数は10名。
今回は高級和食をいただきながら「様々な人生模様を見て、聞
いて、話して、食べて楽しもう」という企画でした。11時半から2
時半までの予定を1時間もオーバーする程の盛り上がりでした。
以下は話した中のさりげないやりとり語録のほんの一部です。
●私の経歴は少しユニークかも。高卒後神戸で看護師をしていた
時、北九大を受験。入学し卒業後は、兵庫県の高校の英語教師とし
て戻り長く勤めた(すばらしい3C―chance, challenge, change―
を実現され、ご苦労もおありだったに違いないが、更に豊な人生を
展開されたのですね)。
●昭和56年に卒業したが、丁度この頃北方の電車が消えモノ
レールと入れ替わった。現在中学校の教師をしていて、終日生徒
達の前に立つ仕事なので、生徒以外の人達と思い切り喋りたく
て今日は参加した(私達も皆さんと思い切り喋れるこの日を
待っていました)。
●モノレールへと替わった年といえばうちの上の子どもが確か
小1だった(「エッ、ホント?だとすると貴女は私より年上とい
うことになる。信じられへん。ものすごう若う見えるワ!」の声
があがり、全員がその声に賛同する)。
●私は阪神淡路大震災で被災したので、高松へ移転して暮らし
ていた。最近地元の神戸に戻ってきたので、まだ今もここが懐か
しいと感じている。商学部卒業なので自営業の実家や知り合い
からも経営の手助けをよく頼まれて続けてきた(被災されて大
変でしたね)。
●下の子供も小学校へ入ったので、やっと時間を少しは自分自
身の為にも使えるようになり、やっとの思いで出席できた(女優
の沢尻エリカを想わせる超美人。若いってことはスバラシイ。ウ
ラヤマシイ!)。
●在学当時、体育の出席回数が不足で単位取得が危うくなった。
先生は酒好きと聞いたので、一升瓶を持ってお願いに行った。結
果はOKで、めでたく卒業できた(実は私も同じく単位取得が危
うくなった経験がある。60代となった今も、時々当時の苦しい夢
を見てうなされている)。
●今、原発再稼働問題が国中で話題になっているが、掘り下げて
考えれば、これは日本のエネルギー問題、自然で健康的な食物問
題にも行きつく。肉牛一頭を育てあげるにはトウモロコシに換
算すると500トン分と同じだけのエネルギーを使うそうなので、
例えば食生活も肉食を極力少なく、魚食を多くとるように変え
る。このテーマで学習会を持っている。スミレ会の世話人さん、
初めてなので大変だったことと思う。感謝です。
●妹も北九大に入学してきたので姉妹で共同生活をしながら通
学するという経験をした。以前は苦手だった人とのコミニュ
ケーションが、多くの人との出会いもあり、卒業後社会人になっ
た頃には改善できたように思う。自営業で多数の人と接し、今に
至っている(世話人としてスミレ会の案内の往復葉書の文面を
パソコンで全部作って下さった)。
●卒業後日本語教師になった。主に大阪で、来日している世界各
国の若者に日本語を長い年月教えてきた。スミレ会発足の世話人
を頼まれ、神戸、宝塚、川西に準備のために3人で数回足を運ん
だ。たいした事はしていないが、このレストランを紹介し、交渉も
引き受けたので、このように話しやすい方々が、丁度まとまった
人数で集まってくださりホッとしている(神戸ならではの選りす
ぐりの料理12品目が、程よい間を保ちながら次々に運ばれてく
る。特に神戸牛のランプステーキやメバルと春大根の煮つけ風、
黒カレー、バラとイチゴの淡雪干等の逸品は格別の味だった)。
フルコース最後のお茶を丁度飲み終えた頃見て、聞いて、話し
て、食べるを楽しむ集まりにも、名残惜しい気持ちでしたが閉会
の時間がきました。今年の7月7日(土)の支部総会や来年のス
ミレ会での再会を約して閉会しました。
25年前に兵庫支部を設立し様々な支部活動を展開してこられ
た先輩諸氏のお力添えもありスミレ会は元気にスタートをきりま
した。神戸を軸に海の幸、山の幸に恵まれたこの地域で暮らす女
性会員の皆さん、これを機にこの輪を広げ集い楽しみませんか?
関わって下さった皆様、どうもありがとうございました。
西村洋子(S41・米英)
スミレ会参加者
増田照美(S40・米英)、西村洋子(S41・米英)、渡部五十三(S43・商)、
福原照世(S44・中国)、楢崎栄子(S50・国文)、矢野真由美(S50・英文)、
春名智寿子(S51・国文)、御手洗陽子(S52・米英)、林あづさ(S56・米英)、
森本千恵(H8・政治)