北九州市立大学同窓会
支部組織
兵庫支部
第2回スミレ会開催
会長 西村洋子(41米英)
5月26日(日)11時半から第2回スミレ会が開催され、
会員9名とインド料理レストラン「シャンティ」(平和)のオーナーである安徳支部長の合計10名が参加しました。
シャンティは、JR芦屋駅ビル5Fの大丸百貨店へと続くおしゃれな商店街モンテメールの一角にありました。
インドのムンバイで入手したという素敵な民族画のバティックのタペストリィが出迎え、明るくてエスニックの香りが漂い、
インド人スタッフが3人も腕をふるう、賑わっているお店でした。
ヨーグルトドリンクのマンゴーラッシーが美味しくて、
シシカバブーのお肉やタンドリーチキンの味もエスニック。
サラダやスープに続いて運ばれてきた待望のナンの大型なこと!
ダル(豆)カレーに浸して食すると最高の味でした。
参加者は殆んどが前回出席された顔ぶれで、馴染みが出来ていて嬉しい再会。
新しいメンバーの三村さんが粋な着物姿で登場。
三村さんは兵庫県立大のプロジェクトマネジャーをなさっていて、
現在NPO中播磨地域ビジョン委員会の広報部会長として、
サンテレビに出演したりして活躍中。
さて今回は芦屋在住の大先輩山中道子さん(昭和24年外専卒)を招待し、
女性会員を通してその豊かな人生に触れる「スミレ会人生セミナー」の一回目でもありました。
以下セミナーのやりとりの一部を紹介しましょう。
司会 山中さんが入学されるまでの経緯は?
山中 最初の夫が戦死しましたので、幼い長女と私が自活できる道を探していました。 時代が戦争直後でしたから、女性が普通の大学へ入学するなど当時は考えられず両親は反対でした。
司会 入学後の生活は?
山中 戦後間もないのでクラスメートには元軍人さん達も多くいらっしゃいました。 私は学費を稼ぐ為に旦過橋の天ぷら屋さんで働きながら学校へ通いましたが、単位を取得するのに必死で頑張りました。
司会 学生生活の想い出は?
山中 時間不足で専門を深める隙がなく、成績が一時下から二番目になった事があります。 それを大島学長さんが心配して下さり、当時授業で法学を教えていた山中教授に私の個別指導を頼んで下さいました。
司会 就職されましたか?
山中 神戸の住吉中学校(神戸大付属)に英語教師として赴任しました。 中学校では生徒達を愛していましたので、自分で言うのもなんですが、生徒にとても人気があったのですよ。(笑)
司会 ご結婚は?
山中 住吉中学校に勤めて三年経った時、在学中にお世話になっていた山中教授が私を貰いにみえたのです。 おデートは大阪でしたね。(笑)
司会 北九大で芽生えた、ビッグ山中カップルの誕生ですね。(笑)
山中 はい。主人となりました山中は偉い人でしたよ。叙勲も受けておりました。 お互い再婚同士でしたが、とても優しい方でした。私は退職後は自宅で学習塾を開き生徒を教えました。
主人は92歳で亡くなりました。その後は近くに嫁いだ二女、三女に助けられ、 信仰の教えを受けながら、自宅でどうにか一人で自活出来て幸せです。
司会 素晴らしいお話を聞かせていただき本当にありがとうございました。98歳と言うご高齢ではありますが、
今なお、お元気で美しい山中さんに会えて、当時の学生生活や、詳細な日常生活まで伺うことが出来、 示唆に富んだ強力なウーマンパワーを受け取る事が出来ました。
人生いろいろですが負けずに私たちも後に続きたいものだと痛感したセミナーでした。
司会 ところで去る5月4日が山中さんの98歳のお誕生日だったそうでおめでとうございます。
山中 ありがとう。でもこの歳ですから正直言うと、お気の毒にの方がぴったりきます。(笑)
司会 いえいえ、これだけ素晴らしい豊かな人生を歩んでこられ、 今もお元気でいらっしゃることは、やはり超のつくめでたさだと思います。本日はありがとうございました。
こうして山中さんの話を聴いた後は気の置けないおしゃべりを楽しみました。
最後に安徳さんの音頭で、「山中さんの長寿と健康を祝し、スミレ会と兵庫支部の発展を願ってカンパーイ!」
をした後閉会となりました。
関係者の皆様ありがとうございました。
第2回スミレ会出席者
山中 道子(S24米英) 増田 照美(S40米英)
西村 洋子(S41米英) 福原 照世(S44中国)
楢崎 栄子(S50国文) 春名 智寿子(S51国文)
林 あづさ(S56米英)三村 晴美(S60経営)
森本 千恵(H08政治) 安徳 信義(S44商)