北九州市立大学同窓会
支部組織
神奈川支部
開国の街 浦賀・久里浜を歩く
第50回記念JOY-HIKEを実施
「太平の眠りを醒ますジョウキセン たった4ハイで夜
も眠れず」この江戸時代の狂歌は有名である。
わずか156年前の1853年、米国のペリー艦隊4隻が日本
の開国を求め江戸湾浦賀沖に投錨、米国大統領国書を日
本に手渡した。その後わずか15年で大政奉還、日本は急速
に近代国家へと前進した。
「楽しく役に立つ同窓会」として、開国時の状況を振り
返ってみようと、歴史的な街を訪れた。効果的に行動でき、
理解を助けるために、事前に5枚の参考資料も作成した。
最初に訪れたのは、大統領国書受け渡しでペリーが上
陸した久里浜海岸である。そこには明治34年に日米協会
が建立した、伊藤博文書の「ペリー上陸記念碑」が有り、当
時の資料等を展示した「ペリー記念館」がある。
その後「浦賀資料館」へバスで移動した。当時、江戸へ入
る荷物船は、伊豆下田に入港しており、 1720年に浦賀奉
行所が置かれ、浦賀は港町として繁栄した。
18世紀半ばから、日本近海にはロシアやイギリスなどの
船舶が現れ、江戸湾口の浦賀にも出没していた。
そこで浦賀奉行所は、海防や、外国船との対応、荷物船
改め等多忙であり、多くの廻船問屋が活躍した。
このように商業で栄えた町の神社・仏閣には当時を偲
ばせる物が多く、「西叶神社」「東耀稲荷」などの社殿を取
り巻く龍や虎などの繊細な彫刻や、拝殿の格天上の立体
感ある彫刻や色彩感覚ある花鳥は見事である。また、大き
な金属の灯籠や水盤には、問屋や遊郭の主人の名前が刻
まれている。
狭い浦賀湾を結ぶ渡し舟は、奉行所が出来たころから
運航され、現在もその面影を敢えて残している。
舟型は江戸時代の御座舟を模倣しており、現在でも市
道2073号として利用されている。
静かな街を歩けば、窓は格子状の家もあり所々に往時
の廻船問屋等を偲ばせる古ぼけた蔵を目にする。
渡し船に乗ったり、散策したり、見学したり、ゆったりと
昔に想いをはせた5時間であった。