北九州市立大学同窓会

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支部組織

関東支部

支部活動の原点「三水会」

三水会の由来
「三水会」という呼称は、同窓生の親睦会が毎月第三 水曜日に開かれたことに由来する。支部創設者の一人、 赤松孝男(25 ・専中、初代支部長)によると、支部成立後間もなく始めた「昼食会」(当時の会場は、国鉄「新橋」駅前の大衆割烹「浦島」店)が、「三水会」の起源 という。

ただし、電車を乗り継いでわざわざ昼飯を食べに行く人は少なく、出席者は駅の近くで働く人ないしは支部役員に限られた。

月例「昼食会」の転機
昭和52年9月、月例「昼食会」に大きな転機がきた。 会場の店が店じまいしたのだ(注;「新橋」駅周辺の再開発で、店じまいしたことが後にわかった)。

その日、筆者はちょうどそこに居合わせた。正午過ぎ、その店に着くと、白石忠良・支部長(31 ・米、支部長在任期間1974 〜89 年)が入り口に立っていた。そのはずである。錠がかかっていて店に入れないからだ。

ふつう、店が休業する場合、その理由と詫び文が掲示してある。ところが、それらしきものは一つもない。二人はノブを回したり、硝子戸越しに覗いたりして中の様子を窺った。しかし、何の反応もなかった。

空腹は他の店でも満たせる。しかし、それもかなわない。すでに月例会場の店として同士の間に知れ渡っているから、誰が来るかもしれない。ひたすら待つしかなか った。

午後1 時過ぎ、白石はついにあきらめた。そして、これという当てもなく、二人は山手線の高架に沿って有楽町へ向かった。

新しい「昼食会」会場
白石には、来月に備えて、新しい昼食会場を探さねばならない、という差し迫った使命があった。それにしても空腹と暑さに我慢するには限界がある。そのうち、目まいがして歩けなくなった。そこで、休憩と軽食をとることにした。

たまたま、そこに有楽町ビル地下食堂街の看板があった。「もうどこでもよい」と思ってそこへ入った。そし て、すぐ食べたいので、階段を下りたところから最も近い店に飛び込んだ。しばらくして、その店が中国料理と炉ばた焼きの店「チボリ苑有楽」という居酒屋であることに気づいた。

満腹になると二人は落ち着きと平安を取り戻した。コ ーヒーをすすっていた白石は不意につぶやいた。「昼食会をここにしようか……!」と。念のため、店長に相談した。店長は快諾した。ただし、混雑する昼よりは夕方の時間帯を勧めた。

店長の提案を白石は「得たり!」と思った。支部の活性化は、毎月の小さな集まり(仲良しグループ)の積み重ねにあるとして、彼は月例会をことさら重視していた。 支部活動の中枢ともいうべき定期会合を、したがって昼に開くことに、彼は当初から懐疑的であった。昼休み時間は、勤務中の時間でもあるからおのずと制約される。

しかも、わずか数十分間の懇談では親睦にも交友にも役立たない。発想を転換して、親睦会を夕刻に開けば、時間の制約はなくなり、残業で遅くなった人でも電車を乗り継いで出席することができる。

かくして、「昼食会」は昼から夜へ、会場は新橋の 「浦島」店から有楽町の「チボリ苑有楽」店に、そして 呼称は「昼食会」から「三水会」に変わったのである。 翌月の「三水会」から、出席者が数倍に急増したことは言うまでもない。