北九州市立大学同窓会

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関東支部

−ぶらり東京歴史探訪の会− 国分寺界隈・紅葉と史跡を巡って

 今回は、秋から冬へと季節の移ろう中、武蔵野の面影を求めて国分寺界隈散策が企画された。12月6日(土)、「四季の会」からの参加者も含め17名の仲間達がJR国分寺駅前に集合した。私達が訪ねるこの一帯には「国分寺崖線」(太古に多摩川やその支流が造った河岸段丘)があり、「ハケ」と呼ばれる湧水地が多く湧水の里としても知られる。
 
 一行はまず、駅近くの都立殿ヶ谷戸庭園に向かった。この庭園は、大正初期、元満鉄副総裁・江口定條氏が創設し、昭和4年に三菱財閥岩崎家に買い取られた後、築造整備された回遊式林泉庭園である。国分寺崖線の地形を活かし、武蔵野の面影を残している。昭和49年以降、都が約18,000平方メートルの広大な敷地を管理することとなった。陽光に照らされた木々の紅葉が、ゆく秋を惜しむかのようにそれぞれの美しい彩を見せ、皆、感嘆の声をあげた。殊にハケの水を集めた池に映る様は趣があった。本館、茶室(紅葉亭)などの風雅な佇まいにも心ひかれながら、静かなひとときを過ごすことができた。
 
 庭園を後にした私達は、江戸時代の新田開発地割の痕跡が残る静かな住宅地を通り抜けて、「お鷹の道」へと歩を進めた。この道の名は、尾張徳川家の殿様が鷹狩りの折、通ったことに由来するという。さらに、「玉造小町の伝説」の残る「真姿の池」に立ち寄ると、その水は今なお清らかさを保ち、この池近くの水源から湧出する一帯の湧水群は、「名水百選」にも選ばれており、今も市民の協力により良い環境が保たれている。
 
 次に向かったのは万葉植物園で、ここには万葉集に因んだ160種の草木が植えられている。和歌も添えられて床しい雰囲気を醸している。また、近くにある国分寺市文化財保存館には、重要文化財の武蔵多喜窪遺跡住居跡出土品などが展示されており興味深く見学した。
 
 その後、私達は武蔵国分寺跡を訪ねた。ここは国指定史跡である。この国分寺周辺は、かつては天平時代から室町時代までの800年間、武蔵の国の中心として栄えた地なのである。奈良時代中頃、聖武天皇・光明皇后の発願により60余国の国ごとに国分寺・国文尼寺が造営され、地方の文化・宗教の中心拠点となったが、ここ武蔵国分寺は、その中でも壮大な伽藍を誇り最大規模の敷地であったことが、長年の発掘調査研究で明らかにされてきている。さらに国分尼寺跡へ向かうと、そこは市立歴史公園として整備されており、郷土の歴史を語り継ぐよりどころとし豊かな自然を残す場として活用する事業が継続中で、また武蔵国分寺跡(僧寺北東地域)もこの事業に加え順次整備公開されるとのことである。
 
 私達は、さらに国分寺市文化財資料展示室も見学し、遺跡からの発掘出土品の銅造観世音菩薩立像、唐草四獣文銅蓋、あるいは国分寺・国文尼寺の推定模型に目を凝らし、学習ビデオも鑑賞して有意義な時間を過ごした。そして西国分寺駅へ向かう途中には、伝鎌倉街道を通った。ここは、鎌倉古道の上ノ道と伝わるもので、切り通しの道が100メートル程現存している。当時は馬2頭が並んでやっと通れる程の道幅だったという。
 
 こうして私達は、各所で美しい風景を楽しんだり、繁栄の歴史の証しを辿り、往時へと誘われる思いを体験して西国分寺駅前に着いたのである。
 
 いつもながら、講師の美作ゆうこ氏(竹内優子 S46・国文)の実地研究に基づく詳細な解説に導かれ、有意義な探訪となった。この後の懇親会では、出席者から様々な感想や意見も出て、充実した一日であった。


船越富美(S47・国文)