北九州市立大学同窓会
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関東支部
桜日和、三十間堀跡の銀座を歩く −ぶらり東京歴史探訪の会50回の節目を迎えて−
平成12年1月に5名の参加者でスタートした当会は、講師の美作ゆうこ氏(竹内優子S46・国文)の素晴らしい解説と人柄に魅了され回を重ねるほどに多くの参加者が集い、歴代役員の皆様の努力にも支えられ、発展してきた。現在では、同窓会活動の大きな柱の一つとして同窓生の親睦を深める大切な交流の場でもある。
記念すべき50回目の例会を祝すかのような春欄漫の桜日和の4月5日(日)、25名の仲間達がJR有楽町駅前に集合した。今回は、ここを起点に銀座方面へ向かい、戦前まで銀座の東側にあった堀川の跡を辿りながらの裏道散策が企画された。
一行はまず、有楽町駅近くの南町奉行所跡(現・交通会館あたり)や有楽町の名前の由来となった織田信長の弟・有楽斎の屋敷跡を通り、江戸の原地形図を参照しながら、川を埋め立てた桜通りへと歩を進めた。次いで、「京橋大根河岸青物市場蹟」、「江戸歌舞伎発祥之地」の碑、「京橋の碑」モニュメントなどを解説を伺いながら回った。
その後、少し喉も渇いた私達は、中央区立水谷橋公園で休憩を兼ねた「お花見」をした。満開の美しい桜を眺めながら、山梨在住の清水恭輔氏(S35・商)が持参して下さった美味しいワインと手作りの漬物を味わい、阿部昌幸会長(S39・商)が用意して下さったおつまみも頂戴した。春の光の中、皆笑顔でひとときの「お花見」を楽しんだ。
再び元気回復した私達は、いよいよ三十間堀跡の通りを紀伊国橋、豊玉橋、朝日橋、三原橋、木挽橋、出雲橋、八通八橋へと辿った。途中、朝日稲荷神社(安政の大地震で三十間堀川に浸かったことがある)のお話を伺った折は、その変遷が興味深く感じられた。
やがて私達は、御門通りから、馴染み深い現・銀座中央通りへと入った。銀座で最も古から商う店という「丸八碁盤店」、京都からきた「鳩居堂」(頼山陽の命名)、丁稚さん時代に近くの時計台に憧れた服部金太郎氏創業の時計塔が目印の「和光」など…銀座の店にはそれぞれの長い物語があると知った。また、みゆき通りの名の由来(浜御殿へ向かう将軍や天皇の通う道だった)や昭和通りの成り立ちなどもなるほどと合点がいった。
こうして、詳しい解説を伺いながら、ゆっくりと歩いてみることにより、江戸時代初期から現代まで続く銀座の変遷に触れ、そこに息づくエネルギーと長い歴史に磨かれたゆとりある佇まいを改めて実感した散策であった。
がんこ寿司店に場を移しての懇親会は、50回の節目に相応しい盛り上がりが感じられた。開会の辞、乾杯に続き、まず、阿部昌幸会長より、講師・美作ゆうこ氏へこれまでの多大な功績とご尽力に対する謝辞が述べられた。それから、赤問晋治氏の名司会により会は進行し、それぞれが、「ぶら探と私」についての思いを熱く語った。会発足から携わった方から最近参加の方まで、その経緯は様々であったが、全員の話に共通していたのは、いつも入念な準備をされて素晴らしい解説で私達に歴史の奥深さを示し、実地学習の楽しさを教えて下さった美作ゆうこ氏への敬意と感謝の言葉であった。
また、今後も引き続き解説を望む声も上がった。このような熱い思いに応えて、美作氏からも、これまでのご自分の会への深い思いと交流を通じて感じてこられた人と人の「縁」についてのお話があった。今後の「ぶら探」については、皆の話し合いにより良い形がきっと見出されていくことだろう。そんな期待も感じられた節目の素晴らしい会であった。
船越富美(S47・国文)