北九州市立大学同窓会
支部組織
熊本支部
支部誕生と七人の歴代支部長
「25 年史」にもあるように、熊本支部結成の仕掛け人は隈部裕義(32 ・米)である。彼は本部広報部長という立場から執拗に熊本の同窓に支部結成を促してきた。奇縁というべきか。その張本人が昭和46 (1971 )年、北九州から熊本に転勤となるや、積極的に県内をかけずり回り、早くも同年8 月1 日、第1 回総会にこぎつけた。場所は熊本市「紅蘭亭」。参集者は予想をこえる30 人。来賓の美山・能美両教授にも面子を保つことができた。
この第1 回総会で、田中(松本)美敏(26 ・専米)が初代支部長に選出された。田中は豪放磊落を絵にしたような人物で、総会や役員会のあとの二次会では決まって“軍国酒場”へ出陣、後輩達に軍歌を強要(?)した。
同48 年6 月、第2 代支部長に選ばれたのが、あの隈部裕義。が、その月のうちに不帰の人となり、その任を田中が代行。翌年、西野章(29 ・中)が第3 代支部長に就く。彼は、任期中、大隈教授や石原学長を総会に招いた。
そして第4 代が当時「岩田屋伊勢丹」常務取締役だった藤井健一(26 ・米)。昭和62 年から平成元年まで支部長を務めた時点で岩田屋本店に栄転となる。
急遽、臨時総会を開き、満場一致で轟木正斗(28 ・米) を第5 代支部長に推した。彼は当時山鹿市立博物館長をしており、その該博なる知識、豊かな教養と相俣って歴代支部長中、まさに異色の存在だった。
第6 代が野口恭明(33 ・米)となるが、その温厚な人柄と実力は支部同窓生、本部役員ともに認めるところで平成4 年から9 年まで支部長の任にあたった。
そして現在第7 代目が片山圭一(35 ・商)。実は、彼は既に20 年以上も幹事長を務めており、その驚くべき人名人物記憶力に裏打ちされた努力なくしては、現在の熊本支部の存続発展はなかったと言ってよい。
平成11 年8 月7 日、田中愼一郎学長の初来会を得て臨時総会を開く。学長のエスプリに富む現代キャンパス事情の活写が会場を湧かせた。それは《即》私たち大人世代に向けた警鐘でもあったようだ。
松尾 大倫