北九州市立大学同窓会

HOME > 支部組織 > 熊本支部 > 親睦会のご案内

支部組織

熊本支部

会員間の交流のかたち

 同業・異業種間を問わず同窓という同じ土俵での交流は多岐にわたる。その交流の輪が仲間内だけでなく、全県域に波及し、母校の存在価値を示す事例もある。

 昭和58 年、熊本県高等学校英語研究会秋季大会の担当委員の一人だった宮原義治(44 ・米)は、事務局の依頼で全体会の講演の講師を河上道生教授にお願いした。直ちに快諾を得たが、折角の機会だから、同窓の高校英語教師に呼びかけ、先生を囲むミニ同窓会をやりたいと申し出るとこれまた即座にOK 。大会前夜、県内の同志30 人が菊池温泉「第一閣」に駆けつけた。先生は参加した教え子のことを彼等以上によく憶えられていた。翌日の講演「英語教育への提言及び英語語法全般について」は全聴衆に深い感銘を与え、北九州大学の威信を高めた。

 ついで平成4 年、当時広島女子大の学長だった先生が全国公立女子大学長会で来熊された際、再び宮原の呼びかけで9 人が参加。新たなテキストをもとに今回も語法に関する講話。宴だけで終わらぬ有意義なREUNION だった。翌5 年、三たび「先生を囲む英語教師の会」を開き16 人が参加したが、二次会の席上「熊本の卒業生の中に詩人がいると判り大変嬉しい」と先生に言わしめたのが現在九州学院高校講師の松尾大倫(35 ・米)自作の英詩朗読であった。九州詩壇の有力詩誌「燎原」の同人でもある松尾は昭和48 年当時、勤務先の菊池高校に颯爽と現れ来たる宮原との因縁を語る。彼は自分の知らぬ単語をゴマンと知っている。聞けば北九大在学中すでに英検1 級をゲットしたと言う。それから松尾のモーレツな勉強が始まり翌年二人は揃ってガイド試験(通訳案内業国家試験)に合格。後輩にして先輩、それが宮原だった。

 後輩達の輪に融け込み、その後ろ楯となり、折にふれて的確な助言をしてくれる井田守(24 ・専中)は、支部顧問として余人に代えがたい人物。曰く「人脈を作れ、それも己を高めてくれるような人脈を」。至言である。事実、熊本西ロータリークラブ会長だった頃、後輩の轟木正斗(24 ・米)に装飾古墳の卓話をさせ、その良質の人脈に触れる機会を与えた。今は、法務省人権擁護委員の要職にあるが、山歩きを楽しみ、後輩達とのゴルフによる交流も忘れない。

 そのゴルフだが、支部の第1 回コンペ以来、かれこれ15 年になる。梅雨の時期だった。朝から怪しい空模様の下、菊池高原CC に10 人ほどの同窓が集まった。はたして、プレイの方は数ホール、ラウンドしたところで雨天中止となったが、今は亡き原和哉(28 ・米)のあの日のデッカイ濁声は、参加者の耳朶になお新たであるという。

 その後、コンペは一時中断したが、再開を模索していた野口恭明(33 ・米)は平成11 年8 月の総会で出席者に提案。15 人の賛同あるも勤務の都合で参加者は結局6 人に。同月29 日、井田守(24 ・専中)がメンバーである益城CC の会場に集合。三上征英(41 ・商)は腹痛で点滴を打っての参加。炎天下ではあったが、プレイは十分に楽しめた。井田、三上のほか、当日の参加者は前出の野口恭明、貞光弘一(38 ・商)、大塚秀一(54 ・済)、北野広明(53 ・法)。ちなみに当日のベストスコアは、10 番ホール、パー5 でイーグルを決めた野口の76 。そういえ ば、同窓会本部の第1 回青嵐大会の優勝者も野口恭明で あった。

 当支部にも、会員交流の場がある。毎月第2 金曜日の『二金会』である。場所は、手鞠歌の里・船場橋そばの「船場屋」なる居酒屋。近くに国の出先機関があり、お役人さん達も気軽に利用する。会費は原則として3 千円。 所謂《2 金》には同窓の誰かがいるハズ。店主の藤本さんは北九大卒と告げるとよくしてくれる。来熊されたら一度“馬刺しを肴にググイッ”をお勧めしたい。

野口 恭明
松尾 大倫