北九州市立大学同窓会

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支部組織

宮崎支部

商業教育に携わって

(1)潮騒会(商業科教員の集い)

昭和34 年4 月、宮崎県の教員になった。神武景気の反動で大不況時だった。初任給9,800 円で、1 万円以上の会社へ就職する学友らが羨ましかったものである。34 年後半から景気は上向き、約10 年間の高度経済成長期に入った(経済成長率10 %前後)。わずか1 年の違いで就職関係も好転するなど、こうも社会環境は変わるものかと考えさせられたものである。

宮崎県の教職には、英語関係はかなり採用されていたが、商学部出身は3 回生の自分が最初だった。以後、谷口善章(35 ・商)、山下利明(36 ・商)、吉岡信久(37 ・ 商)、中島誠哉(38 ・商)、野間政親(39 ・商)、牛島好博(39 ・中)、中岡勲(39 ・中)と続き、同窓の輪は大きくなっていった。牛島、中岡は中国語専攻で商業の教員となった異色の存在だが、以後、商業専門の中堅として活躍している。井上泰治(42 ・商)が採用され、県立の商業科教員は9 人となった。

各人の活躍ぶりが周囲の認めるところとなっていた。 昭和50 年2 月、宮崎の青島にある「潮騒閣」で1 泊2 日の会をもった。商業では伝統のない我々は自分達の力で道は拓くしかない。そのためには「各自の努力以外にない」ことを誓いあい、励ましの会を「潮騒会」と名付け て、以後隔年、幹事を交替しながら会をもってきた。以 後20 年余り後輩の採用はなかったが、西国原総代(旧黒木、平元・経)、竹内和広(平3 ・経)、田原敬介(平 3 ・経)、柳田奈央美(平9 ・経)と平成になり4 人増えた。特に西国原は宮崎商業、柳田は延岡商業と商業高校での教え子達が教職の道に続いてきたことは嬉しいこ とである。彼等若手は先輩に触発されて、各学校で注目されるような活躍をしている。これら若手を迎え、現在は毎年6 月第2 土曜日を例会日と定め、支部総会とは別に続けている。後輩達の増えることを願っているところ である。

(2)情報処理教育
昭和40 年代に入ると科学技術の高度の発達により、情報処理教育の導入が検討されだした。それに対応するため情報処理担当教員養成講座(3 カ月位の内地留学)が 東京、大阪、福岡などを会場としてもたれた。

毎年、各県、数人の者が派遣され、指導の充実がはかられていった。前記の教員(昭和年代)はほとんどその受講生である。私は福岡会場(夏休み中心の3 カ月)で、 受講生、リーダー、アドバンスコースと3 回派遣された。 福岡県は北九大出身がかなりおり、中島達雄先輩(32 ・商 小倉商業校長で定年)をはじめ、多くの皆さんのお世話になった。

(3)商業教育研究会
全国(全商研)は全国各地域を、九州(九商研)は九州各県持ち回りで、商業教育の研究成果発表会が持たれている。九商研の場合、大会前日の夜、九州各県からの 参加者数百人による懇親会がもたれる。ここには北九大出身者も多く、各県での活躍ぶり等がうかがえ、お互い に激励しあういい機会でもある。

私は宮崎県の商業教育研究会の会長を6 年間務めたの で、北九大出身の他県の皆さんとも多くの交流をさせて貰った。次は全国又は九州での出会いの校長(年度省略) である。渡壁積義(岡山東)、中島達雄(小倉商)、一番ケ瀬誠行(佐賀商)、丸野純愛(指宿商)その他多数。

(4)宮崎県高校野球連盟
平成5 ・6 ・7 年度、県高野連会長も務めた。春秋各県持ち回りの九州大会があり、北九州三萩野球場で開催された時、卒業して30 数年ぶり、大学へ足を運び、学内を巡り歩いた。支部総会時に配られる大学案内等で、大学の成長について、一応知識にはあったが、その変貌ぶりにそして、立派さに感嘆した。

会長就任前、春の選抜には縁のなかった宮崎が、連続して出場した。夏の大会県予選では宮崎商業は準優勝で生徒を甲子園に連れていくことはできなかった。

(5)宮崎県立高等学校長協会
平成7 年度、協会長を務め、高野連兼務で多忙を極めたが、文部大臣表彰(本県:小中高の協会長各1 )を受け、全国の受彰者(配偶者同伴)は皇居で天皇のお言葉を拝受し、その後1 時間余、皇居内の見学をした。一生の大きな思い出の一つである。

(6)ふり返って
平成8 年3 月、宮崎商業を最後に定年退職した。宮崎商業には教員15 年、校長5 年、通算20 年だった。

平成9 年、山下利明(日南振徳商)、平成10 年、吉岡信久(延岡商業)が私に続いて校長で定年を迎えた。続く後輩達も県の商業教育の柱として活躍している。

自分の専門分野だった商業科の教員としてを中心に述べてきたが、北九大出身ということで、もう一つ大きな思い出がある。昭和61 年4 月、県教育委員会勤務5 年を経て、管理職として生徒数、千余人の高校へ赴任した。 最初に出迎えてくれたのが伊藤正邦(40 ・米)であった。英語の教員なので初対面だったが、大学の先輩というこ とで嬉しくて迎えたとのこと。この学校は2 年間だったが、職員の対応など、本当に心から支えてくれた一人である。その後も交諠は続いている。

諸々の場面で多くの同窓の皆さんに支えられて定年を迎えられたことを心から感謝している。

同窓会支部については、歴代の支部長をはじめ役員 皆さんの並々ならぬご苦労に負うところ大である。感謝の一言に尽きる。

今後も北九大のますますの発展を祈ってやまない。

竹之下幸一郎(34 ・商)