北九州市立大学同窓会
支部組織
大分支部
市橋先生“瑞宝中綬章”おめでとうございます
同窓会・大分支部有志が受賞を祝う会を開く
今年の5月11日、平成22年春の叙勲伝達式があり、母校北九州市立大学名誉教授・市橋昭平先生が“瑞宝中綬章”を受賞されました。
市橋先生は現在大分市内にお住まいで、大分支部のゴルフコンペにご夫妻で参加したり、総会に出席したりと支部特別顧問として支部会員を影から支えて下さっています。
私達の月例会で何かお祝いをとの声があがりましたので、ささやかですが7月13日(火)の月例会の場所を大分東洋ホテルに変え、ご夫妻にはお泊りいただくということになりました。
当日は藤井洪治さん(S28・米英)から木津裕充さん(H1・院経)まで幅広い年齢層の支部会員22名が「受賞を祝う会」に集まりました。
経過報告、先生のプロフィール紹介、横光克彦議員(S42・米英)からの祝電披露、市橋先生の挨拶のあと花束を釘宮久美子さん(S51・米英)から渡して頂き、当日最も遠方の佐伯から駆けつけた川野幣夫さん(S38・商)の乾杯の音頭で歓談に入りました。その後の約2時間は参加者一人ひとりが次々とご夫妻の席を訪れ、和やかな楽しい会となりました。
市橋先生は中国の旅順で生まれ、小学校2年までは奉天。その後、ふるさと大分にもどり、金池小学校・上野丘高校・大分大学・早稲田大学大学院を卒業後、S35年、当時の九州商科大学(現・九州産業大学)の設立準備委員として設立認可に奔走されました。
S39年からH6年までの30年間が北九州大学・北九州市立大学時代です。中小企業経営分析がご専門ですが、この間、節目の年に大きな動きがありました。まず、S52年9月にダッカで起きた日航機ハイジャック事件ですが、何と先生はこの機に乗り合わせていて一週間の人質生活を経験されています。
その年、学費値上げ反対を叫ぶ大学紛争が全国の国立大学を中心に頻発しました。
翌S53年には公立大学でも学費値上げとなり紛争が拡大。母校北九大も新左翼など過激派を中心に大ゆれにゆれていました。そしてその大学側の交渉窓口にあったのが、当時学生部長の市橋先生だったのです。18時間にわたりかんづめ状態が続いたこともあり、健康を心配した昌子奥様から「もう大学を辞めてください!」という言葉も出たほどの毎日だったそうです。
そして10年後、S63年の商学部長の時には中国の旅順外国語学院と姉妹校の提携がなされ、以来両校の教授や学生の交流が続いているとのこと。
私達は学生時代の4年間しか大学を知りません。今回、大学の様々な歴史を聞かせていただきありがとうございました。
市橋先生!どうぞ健康に留意され、これからも懇親会やゴルフコンペなど大分支部のイベントにぜひご夫妻で参加して下さい。楽しみにお待ちしています。
千綾奉文(S43・商)
今年の5月11日、平成22年春の叙勲伝達式があり、母校北九州市立大学名誉教授・市橋昭平先生が“瑞宝中綬章”を受賞されました。
市橋先生は現在大分市内にお住まいで、大分支部のゴルフコンペにご夫妻で参加したり、総会に出席したりと支部特別顧問として支部会員を影から支えて下さっています。
私達の月例会で何かお祝いをとの声があがりましたので、ささやかですが7月13日(火)の月例会の場所を大分東洋ホテルに変え、ご夫妻にはお泊りいただくということになりました。
当日は藤井洪治さん(S28・米英)から木津裕充さん(H1・院経)まで幅広い年齢層の支部会員22名が「受賞を祝う会」に集まりました。
経過報告、先生のプロフィール紹介、横光克彦議員(S42・米英)からの祝電披露、市橋先生の挨拶のあと花束を釘宮久美子さん(S51・米英)から渡して頂き、当日最も遠方の佐伯から駆けつけた川野幣夫さん(S38・商)の乾杯の音頭で歓談に入りました。その後の約2時間は参加者一人ひとりが次々とご夫妻の席を訪れ、和やかな楽しい会となりました。
市橋先生は中国の旅順で生まれ、小学校2年までは奉天。その後、ふるさと大分にもどり、金池小学校・上野丘高校・大分大学・早稲田大学大学院を卒業後、S35年、当時の九州商科大学(現・九州産業大学)の設立準備委員として設立認可に奔走されました。
S39年からH6年までの30年間が北九州大学・北九州市立大学時代です。中小企業経営分析がご専門ですが、この間、節目の年に大きな動きがありました。まず、S52年9月にダッカで起きた日航機ハイジャック事件ですが、何と先生はこの機に乗り合わせていて一週間の人質生活を経験されています。
その年、学費値上げ反対を叫ぶ大学紛争が全国の国立大学を中心に頻発しました。
翌S53年には公立大学でも学費値上げとなり紛争が拡大。母校北九大も新左翼など過激派を中心に大ゆれにゆれていました。そしてその大学側の交渉窓口にあったのが、当時学生部長の市橋先生だったのです。18時間にわたりかんづめ状態が続いたこともあり、健康を心配した昌子奥様から「もう大学を辞めてください!」という言葉も出たほどの毎日だったそうです。
そして10年後、S63年の商学部長の時には中国の旅順外国語学院と姉妹校の提携がなされ、以来両校の教授や学生の交流が続いているとのこと。
私達は学生時代の4年間しか大学を知りません。今回、大学の様々な歴史を聞かせていただきありがとうございました。
市橋先生!どうぞ健康に留意され、これからも懇親会やゴルフコンペなど大分支部のイベントにぜひご夫妻で参加して下さい。楽しみにお待ちしています。
千綾奉文(S43・商)