北九州市立大学同窓会

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支部組織

岡山県支部

旧岡山支部の記事

岡山支部(全県)の揺籃期

元岡山支部長 太田 道利
前岡山支部長 荒木 敏和

支部の結成にまつわる経緯は25年史に大橋武志(29 ・米)が寄せた一文で触れられている。それによると、昭和39年10月29日、守屋知夫(33・米)、太田道利(33 ・米)が発起人となり支部の結成が提唱され、昭和42年5月に第1回岡山支部同窓会が開催され、結成に至ったとある。初代支部長は大橋武志であった。

当時の支部の発足の経緯とも関係があるが、さまざまな会合の出席者は米英学科卒の教員が多かった。そういうわけで、岡山支部の主な活動は、教職員名簿で探し出した同窓会員に連絡を取って、学会の途中などに立ち寄ってくださる河上道生先生を囲む会がその大半を占めた。

太田道利は当時のことを次のように語っている。

「昭和30年代の『岡山県教職員録』には、氏名の下に出身校と学部名、それに卒年が記入されていた。学校の宿直勤務の夜に、この職員録で北九州大学卒業者を探した。数人発見したので、早速、同年卒の守屋にそのことを伝えると、『声を掛けて集めて一杯呑もう』ということになった。昭和39 年10 月のことである。当時、私は倉敷商業高校の教員で倉敷市のことに詳しかったので、市内の飲み屋『四季よし』(現在は廃業している)を予約した。集まってきたのは大橋(当時、倉敷西中勤務)、守屋(里庄中)、遠藤(38 ・米)(落合高)と私の4 人であった。大橋氏を会長にし、守屋と私でそれぞれ会計と庶務を受け持つことに決定し、遠藤氏は住居が県北にあって遠いので役なしとした。大橋氏は陽性でホラ吹きのトランペッター、守屋氏も陽性ではあるが実務型。大橋と守屋はそれぞれ、金光中と矢掛中出身であることを自慢し、よくケンカをしていた。私は津山中出身で、なだめ役であった。守屋氏は倉敷支部の方で、別の見方をしたものを書いているかも知れない。我々が作ったこの会の他に、商学部中心の会もあったようだが、定かではない」

次に、歴代の支部長名を整理しておく。
岡山支部長(全県)
第1 代 大橋武志 昭和42 年〜56 年
第2 代 守屋知夫 昭和56 年〜61 年
第3 代 鴻池 晃 昭和61 年〜平成2 年
岡山支部長(3 支部制以降)
第1 代 太田道利 平成2 年5 月〜6 年
第2 代 荒木敏和 平成6 年〜11 年3 月
第3 代 森 洋介 平成11 年4 月〜

北九州大学同窓会会報・北友会会報(第23 号=昭和45 年11 月8 日発行)

(大橋武志支部長)の支部だよりによると、昭和45 年7 月12 日、定例の同窓会を兼ねて、当時米英科4 年生の草野芳郎(47 ・米)が、岡山市と都市縁組している米国サンノーゼ市に、岡山市代表の2 人の交換留学生のうちの1 人として旅立つ折に、壮行会が開催された。

同窓会会報(第25 号=46 年11 月7 日発行)では、46 年8 月28 日、岡山市内の南京楼で、河上道生・川崎医科大学教授ご夫妻をお迎えして、定例総会が開かれた。参加者は23 人で、主な議題は会員名簿の充実であった。同窓会会報(第26 号=47 年6 月1 日発行)は河上道生先生を囲んだ英語教員の会が頻繁に開かれたと報じている。

北友会会報(第27 号=47 年11 月30 日発行)には「海外旅行盛ん」の見出しで、三上雅資(36 ・米)の欧州、米国観光ルート調査と鴻池晃(26 ・米)の業務拡張のための視察旅行を紹介している。なお、ほぼ同じ時期に河上道生先生も米国に出張されている。

北友会会報(第28 号=48 年6 月1 日発行)の支部だよりに「河上先生ご夫妻を囲む会 広島・岡山両支部合同総会開く。時:昭和48 年1 月28 日、場所:福山市松乃屋荘、参加者数26 人」とある。参加者の中に、故田中美敏同窓会副会長の名前もある。

北友会会報(第47 号=57 年12 月15 日発行)守屋知夫支部長の支部だよりに、支部総会の短信が掲載されている。日時:11 月13 日(土)、場所:岡山郵便貯金会館。北友会会報(第54 号=61 年5 月31 日発行)によると、同窓会創立40 周年記念の岡山支部実行委員に次の方々が就任した。鴻池晃、大橋武志、守屋知夫、太田道利、三上雅資、遠藤昌澄。

北友会会報(第55 号=61 年12 月1 日発行)(鴻池晃支部長)の支部だよりによると、11 月3 日、岡山ターミナル・ホテルで、岡山支部総会が開かれている。参加者は県内から52 人、本部から副組織部長・安田元司氏と元応援団所属の中山悦定氏の出席があった。この年の県内同窓会員の総数は250 人とある。なお、ビッグ・ニュースとして、現山田共学道場の塾長、山田克惟(43 ・米2 )(当時、作陽高校勤務)が8 月にユーゴスラビアのルブリアナで開かれた国際平和会議に日本代表として出席したことを取り上げている。

支部だよりには掲載されていないが、昭和62 年11 月1日に岡山支部総会が津山市にある衆楽園迎賓館で開催された。参加者は19 人と推測される。なお、鴻池支部長は参加者への礼状の中で、支部活動年会費を1 人当たり、1,500 円お願いしたい。昭和63 年より「岡山県北友会だより」(仮称)を発行すると記している。

北友会会報(第58 号=63 年6 月1 日発行)の支部だよりで、この年の4 月に瀬戸大橋が開通し、新岡山空港が開港したこと、岡山県出身卒業生数が400 人を突破したことなどを伝えている。

北友会会報(第59 号=63 年12 月1 日発行)の支部だよりなどによると、岡山支部総会が倉敷アイビースクエアで、8 月21 日に盛大に開催された。参加者は地元の29 人の他に、来賓として、碓井陽一北九州大名誉教授、本部からは重枝新三組織局長、吉田定代副婦人部長、中川八重香広報委員長の諸氏の出席があった。

上記以外の出席者は次の通り。尾高弘毅(63 ・経)、江木由美(62 ・米)、才田文子(62 ・米)、津村泰広(61 ・営)、大久保幸昌(53 ・経)、山本宏二(52 ・商)、阿部洋三(49 ・経)、阿部久美子(49 ・米2 )、小藪正男(49 ・米)、草野芳郎(47 ・米)、青木秀夫(45 ・経)、小藪迪則(45 ・経)、谷口清志(45 ・営)、入江健二郎(44 ・米)、小野鶴太郎(44 ・商)、難波稔(44 ・商)、森田康也(43 ・米)、太田博樹(42 ・中)、角田紘司(41 ・商)、繁定健三(41 ・商)、山下順三(40 ・米)、森洋介(39 ・中)、遠藤昌澄、三上雅資、荒木敏和(35 ・米)、岡部満里子(35 ・米)、渡壁積義(34 ・商)、太田道利、鴻池晃(順不同)。

総会の後、倉敷の美観地区の、白壁の残る柳並木を川沿いにそぞろ歩きし、さらに、鷲羽山までドライブして、眼下の瀬戸大橋の眺望を楽しんだ。なお、この総会を機に、支部の婦人部「ますみ会」が、さらには、支部月例会「三金会」、同好会として、ゴルフ、テニス、貿易研
究会、パソコンの4 つのクラブが発足している。

北友会会報(第60 号=平成元年5 月30 日発行)の支部だよりには2 つの紹介記事と1 つのニュースが載っている。

(1)岡部満里子氏による、岡山「ますみ会」発足の記事で、岡山県内に女性会員が40 人程度在住していること、女性会員5 人で準備会を持ったことなどで、これは、鴻池岡山支部長に宛てた同窓会本部の竹内一代さんの昭和62 年9 月付の手紙の一文「(省略)岡山支部に45 人の女子卒業生がご在住の由、ぜひ、ぜひ婦人部の誕生をと希っております」が具現化したもの。
(2)岡山支部三金会発足の広告で、会場はホテル第一インのレストラン『南仏海岸』、時間は18:00 〜21:00 厳守、会費は3,000 円とある。
(3)倉敷支部長(筆者注:この時はまだ、岡山県支部の副支部長の1 人のはず)渡壁積義氏が岡山市立岡山商業高等学校校長に栄転のニュース。

北友会会報(第63 号=平成2 年11 月30 日発行)の支部だよりは岡山支部総会のことを報じている。同年5 月27日に岡山県青年館で、大学および同窓会本部から、中谷哲郎学長、土谷清同窓会長、河野徳治郎、広木嘉子両副会長を迎えて開催された。県内の参加者は25 人。この年の総会の最大の目的は岡山県支部を岡山、倉敷、津山の3 つに分割することにあった。前岡山支部長の肩書でこの記事を認めた鴻池晃は、3 支部に分割する利点として、身近に支部が存在し、親しみやすい支部長がいることになることを挙げている。さらに、「私の支部長体験から支部活動は決して負担となってはならず、リベラルでなごやかさが失われないことが肝要だと痛感しています。私も過去4 年間の支部長在任中は無力な私にもかかわらず、よき後輩の方々に恵まれ支部の皆様から温かい御協力が得られましたこと心から歓びとしています。この紙上をお借りして皆様に厚く御礼申上げます。岡山県内の同窓生の方々には新任3 支部長を一層盛り立て本部の協力を得ながら益々御活躍されんことを心からお祈りします」と述べている。

以下は新支部長と副支部長。
(岡山)支部長 太田道利、副支部長 荒木敏和
(倉敷)支部長 渡壁積義、副支部長 三上雅資
(津山)支部長 太田和幸(36 ・米)、副支部長 遠藤昌澄

当日の県内参加者は次の通り。鴻池晃、大橋武志、太田道利、渡壁積義、岡部満里子、荒木敏和、三上雅資、遠藤昌澄、天羽紀夫(38 ・商)、繁定健三、山下順三、大原邦雄(43 ・米)、橋本通孝(43 ・商)、森田康也、山田克惟、難波稔、谷口清志、草野芳郎、岸卓志(48 ・営)、曽根哲史、阿部洋三、阿部久美子、小藪正男、才田文子(卒年順)。

この機会に、規約が提案され、承認された。この規約が出来るまでの経緯を太田道利は次のように記している。「同窓会本部から規約作成の要請もあり、また、3支部ばらばらでも困るということで、3 支部共通の規約作りが、平成2 年の初夏に、岡山県情報処理センターの所長室で、渡壁倉敷支部長、遠藤津山支部長と岡山支部長の太田の3 人で始まった。主導役は法律に詳しい渡壁所長であったと思う」

ここで、何が、鴻池晃をして、岡山県支部を3 つの支部に分割することに駆り立てたのかを検証してみたい。

この発想の源が、昭和42 年の揺籃期から14 年間岡山支部長を務めた大橋武志が、北九州大学同窓会25 年史に執筆した岡山支部の現況の「会員は今日では150 人以上にふくれあがり、一段と頼もしさを加えてきている。近々にも岡山県内を4 ブロックぐらいに割り、担当責任者を決めて、平素からの接触を深め、いっそうの連結と激励の輪を広げ、強めてゆく方法を話し合っている昨今である」にもあったと思う。この発想は、岡山支部の主だった方々が共有していたものであったが、この一文も、県支部を複数の支部に分離して独立させるところまでは言及していない。あくまでも、意図するところは、県単位の1 支部が、数ブロックの同窓会活動を支援し、全体の活性化を図ることにあったのだと推測する。

私たちは、鴻池和子さん(故鴻池晃夫人)に連絡、同窓会関係の遺品を譲り受けた。故人の鉛筆書きの文書を引用(できるだけ原文通り)しながら、3 支部分割の経緯を述べることにする。

平成元年10 月5 日(この手紙は元号を用いている)の、「岡山県支部幹部各位」(幹部にあたる方々の氏名は次の通り。大橋武志、太田道利、渡壁積義、岡部満里子、荒木敏和、太田和幸、三上雅資、遠藤昌澄、森洋介、山下順三、山下光昭、角田紘司、繁定健三、太田博樹、大原邦雄、山田克惟、橋本通孝、入江健二郎、馬場進二郎(44 ・米)、小野鶴太郎、難波稔、谷口清志、俣野宗平
(45 ・営)、青木秀夫、小藪迪則、田中史郎(46 ・米)、草野芳郎、岸卓志、小藪正男、阿部洋三の各氏)に宛てて、「岡山県支部の今後の運営について、ご意見うかがい」という見出しの後に次の文言が続く。

岡山県在住同窓生も328 人に達し、大支部となりました。同窓会本部からの1 銭の援助もない状況で支部長と少数の幹部のみで運営していくことは手間と負担が多くなるばかりです。

先般、同窓会本部の運営評議会へ出席した際に本部役員に相談しましたところ、20 人以上なら新支部を作ってもよいのでその線で積極的に考えてみなさいというアドバイスをいただきました。(次に他県の例が挙げられたあと)岡山県の場合もその時期が到来しているような気がいたしますが如何ですか。一つの案として次の如く、
津山支部(47 人)=津山市、真庭郡、苫田郡、勝田郡、英田郡、久米郡
倉敷支部(123 人)=倉敷市、新見市、総社市、笠岡市、高梁市、井原市、阿哲郡、後月郡、吉備郡、都窪郡、川上郡、小田郡、浅口郡
岡山支部(158 人)=岡山市、玉野市、備前市、上房郡、御津郡、赤磐郡、和気郡、邑久郡、児島郡−の3 支部に分割してはと考えています。これについて事前に皆様のご意見など伺いたいと存じます。多分賛同していただけると思っていますが、私、現支部長として反対意見も貴重なものとしてその理由を述べていただき参考にさせていだきたいと思います。以上、支部長 鴻池晃。1989 .10 .12 (ここは西暦の表記。平成元年にあたる)付の大橋武志宛ての手紙の中で、岡山支部のためにいろいろ努力してきたが、なかなか成果があがらない、「…しかし、少々過労気味で今年はお休みといったところです」と、やや弱気とも取れる記述の後で、6 項目の個条書きがある。ここで、分割に関係した部分を再録する。

1 .私も今後、岡山・倉敷・津山と3 副支部制を取ろうと思いましたが、本部直轄の支部にしないと本部からの恩恵が受けられず、福岡県、山口県、広島県の如く複数に分割するのが色々な観点から得策の様に考えます。本部も小分割を奨励しています。

2 .来年くらいに3 支部に分割し、支部規約を作り、各支部(毎)に支部長、副支部長を選任して、発足する必要があります。勿論、皆様の賛同が必要ですが、ここらで心機一転スタートして、後輩の意欲を盛り上げてはと考えています。人事は腹案がありますので、次の機会に連絡いたします。

1990 (平成2 )年2 月12 日に、支部の主だった会員に宛てて、2 月25 日に3 支部分離のための第1 回準備会を、岡山県青年会館で開催する旨を連絡している。

1990 (平成2 )年4 月16 日、土谷清同窓会会長と重枝新三組織局長に宛てて、「岡山県3 支部へ分割の件」の標題で5 つの個条書きを送っている。が、関連のある3つを引用する。

1 .同窓会活動も都市中心になり、その地区の少数のもののみが交流を行っているという状況になりがちです。何とかこれを克服し地方へ散在している同窓生にも会合へ参加しやすいようにと1986 年岡山、1987 年津山、1988 年倉敷と毎年場所を変えて総会を開いて参りました。僅かなりとも地方存在の同窓生の鼓舞に成果があったように実感しています。

2 .岡山県内も岡山・倉敷・津山と各々歴史的な気風と特異性を持った3 地区へ大別できます。「岡山支部」となりますと、どうしても岡山中心となりややもすると他の地区の同窓生は無関心になりがちです。自分の住居の近くに「支部」がありますと同窓生同士の親近感がもっと湧いてまいります。

3 .かねてから、3 分割については支部の主だった者同士でいつも話題になり、よく討議していました。昨今この気持ちが高まってまいり、この2 月25 日に支部幹部会を開いて討議しました結果、別紙(既述)の如く岡山県を3 分割し、新支部長を誕生させることに意見が一致しました。

このようにして、岡山支部は3 分割されたが、果たして鴻池氏の目論見通りに支部活動は活性化したであろうか。今後、同窓会本部が、全国の支部組織および評議会のメンバー構成を議論する中で、解決されるべき問題だと考える。

北友会会報(第65 号=平成3 年12 月10 日発行)の支部だよりに、8 月18 日に開催された岡山・津山・倉敷三支部合同総会(担当:倉敷支部)の記事が掲載されている。

さらに、短信の訃報のところに「前岡山支部長 鴻池晃氏(専米26 年卒)死去」の見出しで、「鴻池氏はかねてから病気療養中のところ薬石効なく肝臓病のため死去されました。鴻池氏は5 年間岡山支部長、6 年間評議員として活躍。特に支部名簿の作成、会員の動向調査に努力されました。ここに謹んで御冥福をお祈り申し上げます」の記載があった。

北友会会報(第69 号=5 年12 月20 日発行)の支部だよりで、支部長の太田道利は、平成3 年の晩秋、定年直前に他界された鴻池晃氏を偲ぶ会の様子を報告している。太田は、故人が某生産会社の多忙な海外担当部長を務めるかたわら、支部名簿を編集して冊子にしたこと、岡山県支部を大きく発展させようと、岡山県を3 支部に分割のために精力的な取り組みを行ったことなどに触れている。

偲ぶ会は、同会を提案した副支部長・荒木敏和を中心に、山下順三、橋本通孝の3 人が世話人になり、平成5年8 月21 日(土)、市内の大衆割烹「津山」で持たれた。

故人の遺影に黙とうの後、和子夫人の謝辞に引き続いて、倉敷支部長・渡壁積義氏の献杯の音頭で会が始まり、しめやかな中にも、故人を偲ぶ話題に花が咲いた。

この日のために、わざわざ、河上道生先生が下関から駆け付けて下さった。先生から外専時代の懐かしい話が出ると大いに喜んだのは大橋武志であった。上述以外の参加者は次の通り。岡部満里子、三上雅資、森洋介、山下光昭(40 ・米)、角田紘司、繁定健三、太田博樹、大原邦雄、入江健二郎、難波稔、小藪迪則、岸卓志。

太田は鴻池氏について、次のように述べている。

「故鴻池氏が岡山支部の3 代目の支部長になって、早速行った仕事は同窓会名簿の完成を目指すことであった。荒木氏のアイデアで準備したソーティング用カードに同窓会名簿からピック・アップしたデータを記入していき、不明なところは、電話を掛けたり、足で確かめたりして、完成度をあげ、昭和61 年に冊子にして出版した。なかなか、凡人には出来ない業である」

その後、上記のカードをもとに、荒木が、数カ月をかけて、データをコンピューターに打ち込み、住所録を多角的に活用できるようにした。なお、データはOS の変更に伴う新たなソフトウェアにより、常に、更新されながら今日に引き継がれている。

平成6 年8 月21 日に岡山支部総会が開催され、新支部長に荒木敏和が選出された。支部長以外の新役員は次の通り。副支部長 森洋介、幹事 岡部満里子、山下順三、会計は当分の間、支部長が兼任、監査 佐々木隆雄(39 ・商)、繁定健三、顧問・相談役 太田道利。

北友会会報(第71 号=6 年12 月20 日発行)の支部だよりは岡山・津山・倉敷3 支部総会兼合同懇親会(担当:倉敷支部)を伝えている。

北友会会報(第73 号=7 年12 月5 日発行)の支部だよりは、岡山県3 支部合同の総会を報じている(今回から岡山支部は、会員全員に案内状を発送し、さらに、会計業務を近代化した)。

平成7 年8 月27 日、桃花苑(岡山市)で、倉敷・津山・岡山3 支部総会兼合同懇親会を開催した。同窓会本部から中山悦定副会長が出席、総勢25 人が旧交を温め、たいへん和やかな楽しい会となった。

森洋介の総合司会のもと、当番幹事の荒木敏和岡山支部長が開会あいさつ、引き続き中山悦定組織担当から大学の現状と将来、同窓会本部の新しい動きを聞かせて頂き、また、3 支部への心温まる激励をいただいた。

各支部事業報告の中で、遠藤昌澄津山支部長が同支部活動の具体的な活性化を熱っぽく語り、渡壁積義倉敷支部長は来年度は倉敷独自で支部総会を開催することを発表し、荒木岡山支部長は3 支部総会兼合同懇親会を奇数年に開催し、偶数年には各支部独自に総会を開催してはどうかと発案した。

つぎに懇親会の司会を山田克惟が行い、中山副会長の乾杯の音頭と短い歓談のあと、山下順三発案によるミニ講演「岡山空港の現状と今後−阪神大震災対策を中心として−」が佐々木隆雄岡山空港管理事務所長によっておよそ40 分行われた。

写真撮影が終わると、立食パーティーに移り、旧交を温める会員もあれば、自己紹介をし合って新たな交流を図る会員もいて、北方の学び舎につながる縁を十分に味わう機会が持てた。

最後は例によって中山副会長の指揮のもと校歌、逍遙歌を声高らかに歌い、今年の3 支部合同同窓会も盛会のうちに幕を閉じた。

文中で紹介した方々の他に次の方々が出席した。〔津山支部〕黒瀬重喜(41 ・中)、草地淳雄(41 ・商)〔倉敷支部〕三上雅資、天羽紀夫、奥本詔三(39 ・商)、浅野忠彦(39 ・商)、太田博樹、難波稔〔岡山支部〕太田道利、繁定健三、角田紘司、入江健二郎、小藪迪則、奥田成美(47 ・英)、岸卓志、大久保幸昌、植田訓夫(62 ・営)。

北友会会報(第75 号=8 年12 月10 日発行)の支部だよりより。去る9 月29 日に、藤井健一・新同窓会長を迎え平成8 年度の支部総会を岡山まきび会館(公立学校共済組合)で開催した。

全体の司会は森洋介副支部長、総会の議長は、小藪迪則と岸卓志で、支部長に荒木敏和を再選した。引き続いて新支部長から役員(留任)の委嘱があった。つぎの通りである。

副支部長 森洋介、幹事 岡部満里子(岡山ますみ会担当)、山下順三、会計 支部長兼務、監査 佐々木隆雄、繁定健三。

懇親会では、佐々木隆雄の手慣れた司会で、藤井会長による本部活動報告があり、新装なった校舎や施設設備、懐かしい母校の発展と後輩の活躍の様子、同窓会本部の意欲的な取り組みなどが話され、皆、熱心に耳を傾けた。

つぎに、ミニ講演「パキスタンよもやま話」が山下順三により行われた。同国の歴史、地理、政治体制、産業、言語などに関する充実した資料に基づいて講演が進められ、参加者に感銘を与えた。会場には、子供の背丈ほどもある水パイプや男女の民族衣裳などの現物が展示されていたし、わざわざ器材を持ち込んで、旅行中に記録したビデオを解説付きで放映。本格的な講演内容で参加者は大いに満足した。後半は時間の都合で、申し訳ないことをした。ここに、山下氏のご苦労と奥方の内助の功に心から感謝したい。

今回は来賓2 人を含めて20 人という小規模な会であったこともあり、太田道利の乾杯の音頭のあと、自己紹介の時間を取ることができて、好評だった。

会の締めくくりでは、例によって、肩を組んで校歌、逍遙歌を熱唱し、別れを惜しみながら来年の再会を約した。

最後に、ぜひ言及しておきたいのは、名古屋からはるばる浜口(旧姓秋枝)美智子さん(35 ・米)の参加があったこと。上記以外の参加者(受け付け順)は、西尾浩(44 ・商)、杉山里司(45 ・経)、谷口清志、草野美恵(48 ・米)、草野芳郎、才田文子、入江健二郎、馬場進二郎、阿部洋三。

北友会会報(第79 号=10 年12 月10 日発行)の支部だよりの欄。岡山県内3 支部(倉敷、津山、岡山)の合同総会・懇親会を、本部から新井市郎・組織担当幹事を迎えて、10 月3 日、まきび会館で開催した。今回は岡山支部が担当した。

同窓会の前半は山下順三の司会によって進行した。岡山支部を代表して、荒木敏和が歓迎のあいさつをした後、別室で記念撮影。新井幹事から同窓会と大学の現状および将来について、新しい情報を交えた有益なお話を聞かせていただいた。続いて、遠藤昌澄・津山支部長、三上雅資・倉敷副支部長、岡山支部長からそれぞれの支部が抱えている課題などの報告があった。この後、3 支部それぞれが支部総会を開いた。

岡山支部では議長団に草野芳郎と岸卓志を選出し、規約の一部改定(会計年度変更の件)を行った。引き続いて、次期支部長に森洋介を選出した(来年4 月から任期2 年)。

懇親会は、乾杯のあと、しばし歓談がつづいた。今回、尺八の演奏を会の目玉の1 つにしていたが、案に違わず、太田博樹氏と黒瀬重喜氏の尺八の合奏は絶妙な音色で心に染み入るものだった。われわれは、演奏に合わせて「無法松の一生」を合唱し、学生時代を過ごした小倉を偲んだ。

演奏の後は、三上、草野の司会で、自己紹介。

締めくくりは、校歌と逍遙歌の斉唱。むかし、軽音楽部で鳴らした健ちゃんこと、繁定健三の歌唱指導と、情熱を秘めた、かつての応援団員の入江健二郎の大きい所作に合わせて、会の参加者は、蛮声を張り上げた。

和気あいあいの歓談にも締めくくりがある。遠藤津山支部長の閉会のあいさつで、再会を約束しながら、この会は終わったが、当日の出席者は、以上の方々の他に、奥本詔三、難波稔、浅野忠彦(39 ・商)、倉元万三寛(46 ・営)、岡部満里子、岩本潤一(41 ・商)、窪田悟(H6 ・営)の各氏が出席した。

少人数ながら、たいへん盛り上がった会になった。津山支部、倉敷支部の役員の皆さん、何度も打ち合わせ会をもってこの同窓会の実行をかげで支えて下さった岡山支部の役員の皆さん、それに末筆になったが、本部からおいで頂いた新井さん、同窓会本部の方々の支援に心からお礼を申し上げる。今後、私は微力ながら、裏方に徹して同窓会を支えていきたいとの思いを新たにしている。

なお、平成11 年度の新役員は次の通り。

支部長 森洋介、副支部長 佐々木隆雄、幹事 岡部満里子(ますみ会担当)、山下順三、会計 岩本潤一、監査 繁定健三、顧問・相談役 太田道利、荒木敏和(支部選出評議委員)。