北九州市立大学同窓会
支部組織
戸畑支部
支部活動再開と今日までの歩み
支部活動はしばらく休眠状態だったが、昭和48 年ごろから戸畑在住の有志の間で、支部活動再開の声が出はじめた。ちょうどそのころ、幸いにも、岩田屋戸畑支店長をしていた藤井健一(26 ・専米)の呼びかけが、大きな引き金となり、支部活動再開の機運は急速に高まった。
藤井は、ロータリークラブのメンバーの、今は故人である山崎康男(25 ・専米)に協力を求めた。山崎は、若松支部の会員であったが、快く協力し、また、高須幸作 (25 ・専米)にも協力を求める。高須は、同窓会創立50周年記念事業実行委員長を務めている。
49 年に本部同窓会の評議会で久保田澄(34 ・商)を知 り、彼は、久保田に支部活動に力を貸すよう要請する。
49 年6 月、4 人は支部活動再開のための計画を練り、 行動を開始した。何といっても10 年に近い空白期間があ り、今と違って情報の少ないころである。いくら狭い戸畑でも、同窓生の所在を確認するのは大変な作業であっ た。若い久保田は、手紙の連絡だけでは駄目だと察し、 同窓生の所在が確認されると、一人ひとりに足を運んで、 支部活動に参加するように頼み込んだ。
7 月には、支部総会開催の準備会が開かれ、支部長選出の方法、今後の運営方針などを検討した。総会については北友会会報31 号(49 年11 月30 日)から一部抜粋して みる。
「美声が飛び出した戸畑支部」の見出しがあり、「10 月15 日、戸畑支部総会は、岩田屋戸畑支店の食堂で総勢 30 人の出席者で盛大に開催することが出来ました。25 年卒業生から47 年の卒業生まで、また、総会には花を添えるように女性の出席者・広木嘉子さん(28 ・中)を迎え、本部からは池内組織部長が参加して下さいました」とあり、記事の終わりには散会し退席してゆく同窓生から、 「出席して良かった、と握手を求められた。同窓生の喜びの顔を見た時、私(久保田)も本当に良かったと思いました」と記されている。
50 年10 月23 日に若戸スポールで総会を開催する。この年、藤井支部長が福岡市へ転出のため、後任に山崎康男 が支部長に選出される。 その後、戸畑支部は、年1 度総会を開催してきている。 総会の議事のなかで、会員による卓話、講師を招聘して の卓話、定例日を設けての昼食会を開くなど提案されて きたが、今日まで実現できていないのは残念である。
ただ一つ、56 年4 月に花見の懇親会を開いたことがあ る。桜の下で杯を交わしては、との提案があり、実現した。本部から重枝組織局長が出席。あいにくの雨となり、 今は亡き山崎元支部長宅の部屋を借りて部屋から桜を眺めながらの花見だった。 本当に残念なことだが、山崎元支部長は平成2 年4 月 3 日、胃がんのため亡くなった。温厚で、いつもにこやかに、後輩の話を聞いてくれた。久保田などは事あるごとに訪問して相談にのってもらった。
山崎は、52 年、支部長を辞任したいと申し出、その年の総会で承認され、後任に吉岡正実(30 ・米)が選出された。その年、支部会員の藤田茂令(38 ・商)が県議選 に立候補し、吉岡は支部長として、藤田応援のため尽力した。吉岡は、「1 年間だけの支部長」という約束で、 その年辞任した。
後任として久保田澄が支部長に選出された。久保田は、支部の再編成の時から、山崎、藤井、高須と一緒に本部、 支部で活動してきたことが認められ、推薦された。久保田は同窓会本部の評議員として、また浜田勝憲同窓会会長のもとでは、広報、組織担当の役員としてエネルギッシュに活動してきた。
言行一致、よく動き、後輩の面倒をみて、若い支部員 を育ててきている。筑田輝久(42 ・米)、城博宣(43 ・ 商)は、このころから支部発展のため尽くしている。 57 年10 月の総会には、来賓として、谷伍平北九州市長が、本部からは土谷清会長ら6 人の役員が出席した。60 年11 月の総会で久保田は、支部長を辞任し、後任に檜垣武則(34 ・商)が選出された。
会社を経営する檜垣は、快い返事ではなかったが、若い支部会員の協力を得ることを条件として引き受けた。 檜垣は、7 年間支部長を務め、平成4 年12 月の総会で辞任し、後任に砂田頴漢(31 ・英商)を選出して、今日に至っている。