北九州市立大学同窓会

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支部組織

八幡支部

支部活動の活性化を図る

 【その1 地域ボランティア活動】

 これからは、そのような活性化のために、多様化した支部活動の状況を、同窓会の会報でたどってみることとする。まず地域ボランティア活動から。 その第1 号となるのが、「金山川コスモス祭り」の協賛である。岸野支部長は、第73 号に次のように書いている。

 「わが八幡支部は、支部活動の活性化と会員相互の交流の拡大と緊密化を図ることを目標に、そして地域とのふれあいの場づくりの一環として、(平成7 年)10 月1 日の日曜日、八幡西区折尾の金山川をきれいにする活性 委員会が主催する《則松金山川コスモス祭り》行事に協賛することになった。

 支部結成以来、初めて体験するボランティア活動で仕事は〔アメリカンホットドッグ〕〔あげだこ〕等の揚げもの売りのバザーである。 前夜から降りつづく秋雨にテント張りを余儀なくされ、慣れない手つきの設営で、出足から勝手が悪い。それに、肝心なフライヤーの故障で、急遽、大きなガスコ ンロと大鍋で用を足すことになる。 全く不安の連続。

 しかし、どうにか約束の10 時開店には間に合うことができた。 支部役員等で編成するメンバー20 数人は、本部から借りた法被を着用。それに〔北九州大学同窓会八幡支部〕 の幟を立てて行動する。 小雨の中、コスモスの鑑賞にぞくぞくと集まる人、人 ……。バザーの方も忙しく人垣ができ、全員てんてこ舞い。

 しかし、手つきもよくなり、呼び込みの声にも勢いがでる。 雨も上がり日が差す頃になると、何処からともなく、 同窓や友人等が集まってくる。食する、笑いあり、歓談ありの中、予想もしなかったことに末吉興一市長も立ち寄って頂き激励(?)など、一寸したミニ同窓会で楽しい一日。 十分な休憩も食事時間もなかった我々は、疲れも忘れ、 一つの安堵と充実感を噛みしめながら、帰路についたところである。紙面をお借りし関係者各位に感謝……」

 平成9 年10 月5 日には、秋の〈則松金山川コスモス祭り〉に参加している。第77号で、幹事・善正善は次のように報告している。

 「10 月5 日、北九州市八幡西区を流れる金山川周辺で春の《チューリップ祭り》に続いて、恒例の《則松金山川コスモス祭り》が開催されました。八幡支部のボランティア活動の一環として今年はドーナツ作りに挑戦。ところが、当日は経験者が来ない、しかも総括責任者をやれと言われ、果たして売り物になるのか……? 午前8 時集合、機材を運びセットしましたが、コンセント片手にああじゃこうじゃと口ばっかり。“烏合の衆” とはこのことか。機材とは《ドーナツ製造器》。機械メーカーの応援でやっと出番、油が程良い温度のなったところで雨がポツリ、ポツリ。出鼻をくじかれっぱなしで、 急きょテントを張るころには子供達が『おいちゃーん、まだ出来んとー?』。

 時間も経過、揚げるのに慣れてくるのに従って皆だんだん手際よくなり、人出でにぎわうころには80 個くらいが出来上がりました。めずらしそうに人が集まってきました。ただし、ドーナツを買いにではなく、「自動ドー ナツ製造器」が作るのを見に。練った材料を入れると油の真上に継ぎ目のない輪がポトリ浮かんだままひとりでに移動、片面が揚がると受け皿が自動的にひっくり返っ てさらに移動、出来上がるとレールの上に乗って大皿に落ちてくる仕組み。売り上げのほうはまだエンジンがかからない。でも試食品を配ったところ、『Mr.ドーナツより美味しいよ』とか、『奥さーん、買わんね。帰りがけは売り切れとるよ』(ウソ)。

 また、近くの進学校の生徒をつかまえて『ドーナツ食って北九大へ』(ホントかいな)の呼び声が効いたのか 製造が追いつかない状況に。値段を4 個200 円にした作戦勝ちもあってうれしい悲鳴。午後3 時には完売、揚げた個数は1248 個。売り上げ上々、体はガタガタ。皆さんお疲れさまでした」

 平成11 年は、《則松金山川チューリップ祭り》に参加 し、『地域に定着したボランティア活動』というタイトルで、同じ第80 号に、支部長は次のように書いている。

 「桜満開の北九州市八幡西区則松、金山川の両岸沿いに、菜の花20 万本、チューリップ6 万3 千本が、一斉に咲き乱れる中、恒例の《則松金山川春のチューリップ祭 り》が4 月4 日、盛大に開催された。 主催は地元のボランティア団体〈則松金山川コスモス 会〉=田仲一雅代表(32 ・商)。毎日、早朝から地域環境づくりのために熱心に取り組むこのボランティア活動に応え、八幡支部も4 年前から、この祭りの協賛しバザーを開き、その売上金の一部を寄付している。

 わずかな金額だが、花の種や肥料代等として、このボランティアが実行する〈花づくりまちづくり運動〉に少しでも役立てばとの願いで、今日まで続いている。 当日は幸いにも天候に恵まれ、早朝からの人出で賑わい、一日中祭り気分でいっぱい。

 バザーは、ドーナツと綿菓子の製造・販売。最初は慣れない手つきだったが、時間とともに手際よく、呼び込みの声にも勢いが出て、売れ行きは好調だった。 ドーナツ1 個100 円だったが、それでも純利益は、2 万8 千円余。今年は、益金を同窓会創立50 周年記念事業の募金活動に活用しようと役員会で申し合わせた」

 【その2 懇親忘年会】

 これまで、支部役員で行っていた支部懇親忘年会を、支部活動活性化のため、広く会員対象に、盛大に盛り上げようと決め、その《懇親忘年会》を平成10 年12 月9 日 に開催し、そのことを第80 号に岸野支部長は次のように書いている。

 「八幡支部は、毎月第2 水曜日の夕方が定例役員会で、 引き続き《やはた北友会》を開催しているが、10 月の例会で、12 月は一人でも多くの支部会員を集め、盛大な《懇親忘年会》にしようと決まった。

 これを機会に、同窓生のふれあいの輪を広げるとともに、この不景気風の吹く世情を乗り切るべく気勢を挙げ、 来るべき平成11 年が、実りある年でありたいとの願いを込め、7 月の八幡支部総会の出席者、70 数人に参加を呼び掛け、平成10 年12 月9 日、役員会の常設の場であるJR八幡駅前の《多聞釜めし》で開催した。 年末の忙しい中で、しかも寒さ厳しい夕暮れにもかかわらず女性や若き同窓が40 数人集まった。

 老若男女が共に、熱い鍋を囲み、大変盛り上がった楽しい歓談の会合だった。また、参加者全員に当たる空くじなしの景品(先輩の好意による豪華な贈り物?)で宴会を一層賑やかに盛り立てることができた。景品も日常役に立つ物ばかりで、皆さんには大変喜んで頂いた」

 これを第1 回として、同様な懇親忘年会を平成11 年にも開催した。

 【その3 役員の研修旅行】

 平成7 年度から、もう一つの支部活動活性化として、 親睦をかねて、支部役員の研修旅行を実施している。 その第1 号が、平成7 年4 月1 日から2 日にかけて、 山口県の一の俣温泉へ出かけてた。

 平成8 年になると、折からの国際化と相まって、韓国への研修旅行が企画され、初めての海外研修旅行ということで、参加者の事前研修など慎重な準備がなされている。 当時の模様を第74 号に幹事・権輝善は次のように書いている。

 「4 月6 日(土)〜7 日(日)にかけて八幡支部役員韓国研修旅行を実施しました。 総勢19 人による一泊二日の楽しく実のある研修旅行で、初日は景福宮、国立中央博物館、青瓦台大統領官邸、 南大門等ソウル市内の見学。翌日はソウル郊外の利川陶芸村と韓国民芸村を訪れる日程。

 『キムチ、ジュセヨ』(キムチ、下さい)と食堂のあ ちらこちらで注文する声が、所狭しとこだまし、韓国の 本格料理であるプルコギ(焼肉)を口にほうばりながらも、プルコギと絶妙にマッチするキムチと韓国製の真露 (チンロ)焼酎が今回の参加者の胃袋を初日の昼食から早くも完全にブラックホール状態にしていました。 その日の夕食ではコリアハウス(韓国の家)にてバイキングの韓定食を満悦し、その後、鑑賞した華やかな韓国舞踊と熱いリズムと躍動感の溢れるサムルノレ(農楽) に時の流れを忘れさせられました。

 二日目は早朝から焼物の里と呼ばれる利川(イーチョ ン)陶芸村を見学し、日本の陶磁器界に少なからずの影響をもたらした高麗青磁の製造過程を目のあたりにし心を引かれ、土産にと殺到し、惜しみなく一個数万円もする壷をポンと購入する方も出る程でした。その後、李氏朝鮮時代にタイムスリップした様な町並みの揃う「民芸村」に足を踏み入れ、異国の情緒に浸りながらも、この場所しか飲めない各酒のトンドン酒を心ゆくまで飲み明かしました。

 この様に今回は超ハードスケジュールの旅行でした が、余韻と大きな成果を残したまま、全員、無事に帰国の途につくことができました」

 この韓国研修旅行は、翌9 年にも引き継がれ、今度は釜山一泊旅行となった。このことは、第76 号で、幹事・ 井尾博行は次のように書いている。

 「今年の八幡支部の研修旅行は、昨年に引き続き、韓国旅行で、釜山一泊と決定したのは昨年のこと。4 月5 日から6 日まで、と。 いよいよ出発が決まると、T さんが検査入院で行けなくなったり、当日の福岡空港では、O さんがプラン表に惑わされて、ギリギリの到着となったため、支部長は 『あーふー』とヤキモキしてのスタートだった。

 金海空港から釜山へ向かう途中で、大規模ごみ処理施設の建設現場を見学して、韓国の若者の集う〈国際市場〉 を、前後に引率付きのおじさん一行10 人がキョロキョロすることしばし(迷子にならないように)。

 夜は〈韓定食〉の種類と量の多さにびっくりしつつ、 頑張ったけれども、多くを食べ残してしまった。そして、 隣の部屋からの大声の『日本語』の会話を聞きながら。 翌日は、魚で有名な〈チャガルチ市場〉で生のタコを食べつつ、吸盤に苦労したりの話題を残して、福岡空港へ帰着」 少々補足説明をすると、我々が見学した釜山近郊の大規模ごみ処理施設の建設現場は、広大な谷間を利用して、 大々的で長期的に将来を見越し、末長い使用に耐えるような遠大な計画だと言う。

 韓定食食堂では、我々も大いに盛り上がったのだが、 隣の部屋の《ご一行様》は、大声の《日本語》でしゃべっていて、何か日本にいるような錯覚を起こした。 地形的には、釜山は下関を大きくしたような感じで、 当然のことながら魚の市場があり、希望をすれば、その場で料理をしてくれるので、生タコ食いの挑戦となった。

 時期を変えて、鹿児島へも

 平成10 年の役員研修旅行は、『4 月当初では、仕事の都合で参加できない』との要望から、4 月25 日から26 日 にかけて、しかも国内旅行と趣向を一変して、鹿児島に行っている。ところが、同窓会会報に掲載されていないので、世話役の北山清種の話を書く。

 「今回は『JR 駅長おすすめの宿』なるものを利用して、鹿児島の市比野温泉に出かけた。市比野温泉への往復はJR 、それからはずっと貸し切りバスによる旅行だった。女性2 人を含む11 人だが、直前になって、T さんが出張中に腰を痛めて入院するというハプニングがあって、とうとう彼は参加できなかった。

 1 日目は、バスでホテル入りしてから、さっそく温泉に入り、お楽しみの宴会となった。日頃のストレス解消のためか、怪気炎を上げたりして、すっかり盛り上がった。

 2 日目は、焼酎工場を見学。製造過程を見学することが少ないこともあって、興味もさることながら、いい香りに鼻をくんくんさせる始末。しかもできたての〈新酒〉なるものを頂戴することとなって、一同ニコニコ顔だった。鹿児島の東に位置する〈磯庭園〉で、桜島の煙に巻かれたような昼食となった。 市比野温泉に戻ったものの、何かの《不消化》があったのか、ここでさらにもう一度宴会らしき会合となった。 楽しい余韻を残して、市比野温泉からJRでのお帰り となった」

 再び韓国へ−2 泊3 日で 平成11 年の役員研修旅行は、『やはり韓国』という声があった。

 しかも、初めて《2 泊3 日》とし、時期もぐっとずらして、6 月に慶州・釜山へ行っている。 この研修旅行についても、会報に掲載されていないので、幹事・中川晴夫に聞いた。 「6 月25 日から27 日にかけて、慶州で『韓国の歴史のすばらしさ』をじっくりと見て、感動の研修旅行だが、 参加者は10 人、今回は女性の参加がゼロという寂しさであった。

 6 月25 日、福岡空港から金海空港へ。ここからバスで慶州へ着いたのが、午後3 時頃だった。 ガイドさんが、九州のある大学を卒業された方で、若くて綺麗で、札儀正しい方だった。これ又すばらしい思い出の一つである。

 この日は、大きなお寺、大規模の古墳などを見学し、 池の畔にある立派なリゾートホテルに入り、韓国舞踊を堪能しつつ、韓国料理のご馳走にうっとりしたものだ。

 26 日も慶州で、歴史的なすばらしさに酔いしびれた。 かなりあれこれと見学したつもりであるが、まだまだゆっくりと見学したいとの思いを残して、午後になって釜山へとバスは走った。3 時30 分頃到着したが、会報の第 76 号にも書かれているように、釜山はすでに見学した所なので、バスで市内をさらりと見学したのみで終わった。 この日のホテルも郊外の海岸に立つ高級リゾートホテルで、景色も料理もすばらしかった。ここでも韓国料理が堪能できた。

 27 日は、少しショッピングをし、高麗焼などを手にして、金海空港から福岡空港へ戻った。 今回は、とにかく有意義な楽しい研修旅行であった」