北九州市立大学同窓会

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支部組織

神奈川支部

「鎌倉殿の13人」と紅葉を訪ねて
第55回 神奈川JOY-HIKU
 

 紅葉も鮮やかな12月3日(土)、NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」にちなんだ名所等を訪ねるJOY-HIKEを実施した。
 訪問先をより深く理解するために、簡単な資料を作成し、参加者に配布した。
  降り注ぐ秋の日差しを浴びながら、まず、鎌倉駅近くの「寿福寺」へ。 北条政  子が源頼朝没後に創建した寺であり、訪れる人も少なく、真っ直ぐな参道は鎌倉で も屈指の景観である。敷石が真ん中に敷かれ、両側の老樹の根元には苔が生え、木 漏れ日に荘厳さを感じる静けさである。
 その後一転、観光客で溢れる「鶴岡八幡宮」へ。 頼朝が、政権の中心として幕 府の主要行事を行い、武家政権の表舞台となった場所である。
八幡宮の広大な東側一帯は、源氏3代にわたり侍所などの中枢機関が置かれた場所 であり、今の住宅地の一角には「大倉幕府跡」の大きな石碑がある。
西御門や東御門の地名に、往時の大倉幕府を偲ぶことが出来る。
北側の丘には、「頼朝の慰霊碑」や「大江広元の墓」が有り、広大な往時の幕府や 屋敷を見下ろしているようでもあった。
 その後、花の寺と呼ばれる「宝戒寺」へ。  この地は、北条義時以来1333年 鎌倉幕府滅亡まで、北条氏の屋敷が有った場所である。その近くには、新田義貞の 鎌倉攻めで、最後の執権北条高時が、一族郎党800人で立て籠もった「東勝寺跡」 や「高時やぐら」(やぐらとは、鎌倉特有の横穴式墓所)が有り、鎌倉時代の戦国の 世をチョッピリ偲んだ。
 そして一行は、鶴岡八幡宮のすぐ南側にある「宇都宮幕府跡(石碑)」を訪れた。 1225年北条政子没後、3代執権北条泰時(義時の嫡男)が、大倉に有った御所を移設 し、僅か12年後には約500m離れた「若宮大路幕府跡(石碑)」に移設した。
 鎌倉には、このように歴史的な場所には、大きな石碑が大正時代後期から昭和 初期にかけて造られており、これらを見て歩くのも興味深い。
 本日の最後は、比企一族の広大な屋敷跡に建立された「妙本寺」である。 頼朝の死後、比企能員の勢力拡大を恐れた北条氏は、比企一族を皆殺しにした。 今でこそ、この地は季節毎にサクラ、アジサイ、シャガ、紅葉と、訪れる人の目 を楽しませてくれ、周囲の静寂な山々は心を癒してくれるが、古く遡れば鎌倉時 代の過酷な哀しい歴史の一コマが存在する。
 〈鎌倉の時代〉にチョッピリ触れ〈秋の紅葉〉を楽しんだ一行は、鎌倉駅前に 戻り、〈ビール〉や〈雑談〉を楽しむことが出来る〈今の時代〉に感謝した。

支部長 神負p昭(S41・米英)