北九州市立大学同窓会

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支部組織

関西支部

関西支部の歴史と変遷

 支部結成後、支部総会の開催も世話役の業務の都合などで総会開催までには至らず、小グループの親睦会という形で推移したが、昭和34 年6 月30 日、芳川信之支部長 (当時、千代田火災海上保険)、岡村和倫、金山千治 (24 ・米、当時、大阪製鋼)、宮谷孝充(25 ・中、当時、入丸産業)が主となり、大阪「大乃屋」で38 人の参加をえて支部再編のスタートとなった。これが第2 回総会であった。

 翌35 年8 月には第3 回総会が80 人という多数参加で開催された。

 以後、第4 回は昭和37 年6 月、「梅田アサヒビル」で 80 人、第5 回総会は昭和38 年5 月23 日、大阪「梅田ミュンヘン本店」で約80 人が参加。芳川支部長の東京転勤に伴い谷口政彦(24 ・米、当時日本コンサルタント協会)を次期支部長に選出した。

 第6 回総会は昭和39 年5 月22 日大阪「梅田ミュンヘン本店」で30 人と少人数であったが盛会となった。

 第6 回以降活動は小規模と停滞期をへて再び再編の波が押し寄せ、第7 回総会は昭和46 年8 月31 日、大阪心斎橋の「サントリーラウンジ」に於て約50 人の参加により開催された。この会で仕事の都合上、谷口支部長が辞意を表明、野口四郎(25 ・米、当時、サンスター歯磨)を次期支部長に選出した。

 その後、大きな変化は昭和61 年6 月28 日に開催された総会(100 人余出席)で会員数多数となってきた兵庫県在住者での兵庫支部設立が決定され初代支部長には村山 昌生(34 ・米、ケイヒン港運)が選出され、近隣支部としての共栄を誓った。

 その後、幾度かの中だるみ、試練を経てほぼ毎年の開催により各年代ごとの支部役員の努力と多くの先輩同窓生の努力、協力により北九州地区地元支部及び関西に1 年おくれて創設された東京支部と共に拠点支部となり、 現在に至ったことに後輩同窓生として感謝している。