北九州市立大学同窓会

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大学だより

2021年度 学位授与式

2021(令和3)年度の学位授与式が3月23日、北方、ひびきのの両キャンパスで学科・専攻ごとに各教 室に分かれて行われた。コロナ禍により、北方キャンパスの体育館兼講堂での全体の式典をやめ分散 形式を強いられたのは3年連続。この日、学位を授与されたのは学士1,347人、修士143人、博士14人の 計1,504人。卒業生・修了生らはそれぞれの教室に入り、松尾太加志学長の告辞を学内放送で聞いた。  卒業・修了、おめでとう。同窓会は皆さんのご活躍に期待しています。

学長告辞
 卒業生・修了生のみなさん、卒業・修了おめでとうございます。本 日、北方キャンパス・ひびきのキャンパス合わせて、学士1,347名、修 士143名、博士14名のみなさんに学位が授与されました。
 コロナ禍ではあったものの、無事卒業・修了ができたことはあり がたいことだと感じております。今、ウクライナへのロシアの軍事 侵攻により、多くの方が教育を受ける以前に命の危険にさらされ ており、大変心が痛むもので、早期に戦禍が収まることを願うばか りです。
 さて、今、みなさんは卒業・修了という学びのひとつの区切りを 終えたわけです。しかし、学びは学校だけの学習ではありません。 学習は私たちの日常の生活の中でも常に経験していることです。 日々のいろいろな経験が学びとなり、私たちの行動を変えていく のです。
 みなさんが赤ちゃんとして生まれたとき、何もできない存在 だったはずです。昨日までできなかったことが次の日にはできるよ うになり、ひとつずつできることが増えていったはずです。その成 長を見てきた親御さんにとっては、授かったわが子の存在は新し い別の世界が広がった思いでおられたことでしょう。人がどのよ うに育っていくのかは、どのような経験をするかに依存します。そ の経験は親の影響が大きいでしょう。
 昨年、流行した言葉に「親ガチャ」という言葉がありました。自分 で選べない親はガチャをひくようなもので、ガチャには当たりはず れがあるととらえるのです。そして、「自分の親ガチャは外れで あった」と言うことで自分のおかれた環境を卑下してしまうので す。もっとも、このような言い方をしているからといって、他意があ るわけではないでしょう。いつの世でも、子どもというものは自分 の親の悪口は言うものです。とかく隣の芝生が青く見えるからで す。
 しかし、ガチャで自分の将来が決まってしまうようなある種運 命論的な捉え方は危険を孕んでいます。自分の判断で人生の舵を とることを放棄するため、自己効力感を感じることなく、どんなに 努力しても無駄だという無力感を助長してしまうからです。学校 ガチャ、友達ガチャ、先生ガチャ、会社ガチャ、何でもくじを引くか のように考え、当たりハズレを気にするのでは、人生がゲームの中 で転がされているものになってしまいます。
 もっとも、人の人生を含めた様々な出来事は、自分の意思とは関 係なく運命論的に決まっているという考えもあります。科学が発 達していない昔は、自然現象は神の仕業だとも考えられていまし た。地震や洪水などは神の怒りだと運命論的な捉え方がなされて いたでしょう。しかし、今では、気候を決める要因の情報を得るこ とで科学的に予測ができるようになりました。
 情報があれば予測ができるという考えは人間にも適用されるか もしれません。ある人の次の日の行動は、その前の日までにその人 が何を経験してきたのか、何を学習してきたのかによって決まる ものです。ある人の過去の情報がすべてわかると、その人の次の行 動が科学的に予測できるかもしれません。
学長告辞 科学の進歩は脅威でもあります。予測にとどまらず、自然をもコ ントロールすることができるようになってきたからです。とくに、医 療や農業の分野で期待されているゲノム編集の技術は、これまで の私たちの世界観を変えていこうとしています。さらに、その先に は、私たちが神の領域だと考えていた生命の世界をも脅かそうと しているのです。
 親ガチャというのは、実は親にとってみれば、子ガチャなので す。どんな子どもを授かるのかはわかりません。しかし、科学技術 はどのような子どもが生まれるかを予測できるし、場合によっては それをコントロールすることさえできるようになってきました。遺 伝子技術は、着床前診断によって遺伝的疾患を見つけることがで きるようになりました。さらに2020年のノーベル化学賞を受賞した クリスパー・キャスナインの技術はDNAのメスとも言われ、ゲノム 編集の精度を格段に向上させました。そうすると、受精卵のゲノム さえ望みどおりに変えることができ、いわゆるデザイナー・ベイ ビーの誕生も可能にしてくれるかもしれません。
 しかし、私たちはそれを選択するでしょうか。こんな子どもが生 まれてほしいと設計図を描き、その設計図通りの子どもが生まれ てくることを望むでしょうか。そうではないでしょう。私たちは授 かった命を大事に育てて、生まれてきた子どもにいろいろなこと を学ばせていきたいと思うでしょう。それが親の務めなのです。デ ザイナー・ベイビーよりもガチャであることのほうが私たちは幸せ なのです。
 ただし、ゲームのガチャと人生の選択肢には大きな違いがあり ます。ゲームのガチャは誰が引いてもいいのです。実際にはゲーム のプレイヤーが引くのですが、どのガチャが手に入るかはランダ ムにサイコロを振るように決められるからです。
 人生の選択肢は、サイコロを振るわけではありません。人生のプ レイヤーが自分の過去の経験や人との繋がりに支えられて自分で 考えて進むべき方向を決定するのです。くじのようなガチャとは 違うのです。
 子を授かることも、親が生きてきた人生の様々な経験の中でわ が子に出会えたのです。親にとってはこれまでにない新しいもう ひとつの世界が広がり、子とともに歩んでいくことが人生の宝物 になるのです。宝物ですから、そこには当たりもハズレもありませ ん。あえていえば、すべて当たりなのです。
 これから皆さんはいろいろな人生の岐路に巡り合うことでしょ う。そこで選んだ道を運命論的にガチャだと考える人もいるかも しれません。どんなガチャであれ、親が子を育てるように、選んだ 道をどう育て上げていくのかが大事なのです。今日皆さんが卒業・ 修了という学位を得たことは、ガチャではありません。皆さんが努 力して学んできた結果です。
 親が子を宝物と思うように、皆さんにとって卒業・修了も宝物で あるはずです。子の成長に終わりがないように、卒業・修了もゴー ルではなく学ぶことは続いていくのです。その新たな皆さんの門 出に際し、改めて祝福を申し上げます。卒業・修了おめでとうござ います。

2022年3月23日
北九州市立大学長 松尾太加志

 

北友会会報第126号(令和4年7月15日発行)掲載