北九州市立大学同窓会

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紫英会(ESS OB、OG会)in 北九州

〜絆のReunion〜

 数十年振りの母校訪問で、北は北海道、南は鹿児島そして米 国からの1名を加えた26名のOB、OG達が現役学生10名と共 に集い、北方キャンパスD301教室は興奮に沸いた。
 翌10月30日の大学同窓会総会と時期を合わせて開催された ESS OB、OG全国集会兼学生との交流会昼の部である。
 8年前に大学同窓会総会が関東で開催されたのを機に集っ たESS OB、OGの集会に次ぐ2度目の全国集会である。この ESS OB、OG会は昭和38年当時、今日あるを見越して全国に散 在するESS(米英研究会=米研)在籍実績のある卒業生の名簿 を口コミで整備し、大学の同窓会規約を下敷きに規約を定め て、本部をESSに置き、その名を大学の後背地である紫川や筑 紫路の紫の一字に単純に英語を結びつけて「紫英会」として発 足した。会員の中には東証一部上場会社の社長経験者少なくと も3名のほか、大学等教育界で活躍中の同窓等逸材が多数含ま れる。
 今回参集した26名の中にも実業界で母校の名声を高めた 錚々たるOBsの他に大学教授3名が名を連ね高い偏差値を誇 る集いとなった。会はOrientationに続いてOBによるshort speechに始まり、4グループに分かれての現役学生との交流 会、学生の案内によるキャンパスツアーと続いた。
 冒頭から手順ミスを犯し、顔をたてて先にお願いした大先輩 のスピーチがnativeと聞きまごう素晴らしい米語でなされ、後 が続きにくくなってしまった。困りはてた挙句に何を勘違いし たのかハングルでの挨拶まで飛び出す一幕もあったが、それで も先輩に続けとばかりに、英語でのスピーチも相次ぎ国際性豊 かな集いとなった。
 現役学生とのグループ別交流は大変限られた時間であった が、学生たちに先輩達の肉食系的な気迫や今だ衰えを知らぬ知 力、母校愛といったものを些かなりとも感じ取ってもらえた か? 雨中でのキャンパスツアーでは一同その変貌ぶりに感 激、中にはこんなに恵まれてよいのかといった逆説的な親心ま で出る始末。在籍する外国人教師の数が56人と聞き、質規模両 面での大学の変貌ぶりに一同眼を見張った。
 昼の部の最後は今や、日米外交史の全国レベルの権威である 本会同窓生教授による今日的外交話題からの無報酬での研究 成果の披露で締めくくられ、大いにアカデミズムを高めること となり聞く者全員に感銘を与えた。
・・・そして母校を後にして懇親会場へ
 懇親会は18:00よりリーガロイヤルホテルに場所を移し、第 65代ESS会長以下招待学生5名と特別ゲスト(ISA OB)を加え て盛大に挙行された。S33卒で今回の出席者中最長老による意 気盛んな乾杯の音頭に続き、本会同窓の本学名誉教授により北 九大の発展に向けた課題について熱のこもった提言がなされ た。
 宴が進むにつれ昼の部の時間的制約から解放され、われ先に とスピーチが続き、Rambling Roseの斉唱や尽きぬ談笑、そし て最後は校歌、逍遙歌で、夢のように楽しかった全国集会は終 宴した。
 今回の集いは卒年S33〜48+H17の会員達であったが海外駐 在、留学経験者が多数を占め正に国際性を地で行く高揚感に満 ちた集いとなった。
 「米研で培われた絆はその思い出とともに永遠に消え去るこ とを知らない」との本会規約の前文が、文字通りここにしっか りと検証され、名簿の再構築など準備に半年を費やした今回の 行事全てがとてもあっけなく、しかし早くも次回は名古屋か大 阪かと再会の期待が高まる中で終了した。
・・・競馬場前(北九大前)
 翌日の同窓会総会では北橋市長さんと立ち話をさせて頂く 機会に恵まれ、その際に今や工都から環境都市への変貌を遂げ た北九州市として、今後は更に芸術文化都市イメージの補強へ 向けた市トータルのマーケティング活動(印象管理)が必要な のでは? そしてその延長線上で考えるとき、折角立派な市立 大学を保有しながら競馬場前北九大はなく、北九大前(競馬場 前)こそが大学の有効活用にもなり、競輪競馬の街からのイ メージ向上のために正解なのではと、元市民の立場から申し上 げました。
谷山州弘(S40・米英)