北九州市立大学同窓会

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北九大吹奏楽団OB会(草創期)

 令和元年7月27日、北九大吹奏楽団OB会をホテルテト ラ北九州小倉で11人の参加で開催した。当時の団員は昭 和33年(1958年)以降24人、楽団草創期であった。今回OB 会に出席したのは11人。
 八幡東区の吉村氏(S37・商)が発起人。関西支部から前 田正治(S40・米英)、兵庫支部から奥本進(S39・商)、二宮慶 治郎(S38・米英)が駆けつけた。会のはじめ他界された初代 松田部長(S36・英)、玉置晴之(S38・米英)に黙祷を奉げた。 病気療養のため欠席6人、住所不詳の為連絡不通が3人。
 福本州慶(S38・商)の司会で始まり各自、近況説明。苦労 話、体の具合、手術の話、時間は早く流れ、後にカラオケに 全員繰り出した。中には62年ぶりに再会した人もいて再会 を喜んだ。
 昭和34年(1959年)頃は日本経済は高度成長期に入る前 で、物資不足で、作れば何でも売れる時代でしたが、北九 大もクラブの予算不足でまともな楽器はありませんでし た。小倉競馬場、旦過橋のパレードをしアルバイト料で補 い楽器の補充に充てました。

<大学野球応援>
 九州六大学リーグ戦の応援では、博多の平和台球場へ もよく行き、全日本選手権では対神奈川大戦に神宮球場 まで行き、当時夜行列車で大阪で夜が明け、東京には夜到 着といった具合でした。

<合宿>
 山口県の秋芳洞の上にある秋吉台に当時青少年宿泊所 「ユースホステル」があり(現在無し)毎年春休みに合宿。 自炊、俗界より完全離別、TV、ラジオ、マスコミから遮断。 夜は静まりかえり、健康そのものでした。

<文化祭>
 今でも記憶にあるのは「十字勲章」「ドナウ河の漣」「ボ ゲイ大佐(クワイ川マーチ)」「海兵隊」「錨をあげて 」「軍艦 マーチ」などです。
 それと大学の学長が上京するときは小倉駅のプラット ホームで校歌を吹奏して見送ったものです。
 次回も療養中のメンバーもふくめ、元気で集まろうと解 散しました。

二宮慶治郎(S38・米英)