北九州市立大学同窓会
- ヨット部OB会
- 弓道部OB会
- 山父[ミナール同窓会
- 柔道部OB会
- マンドリンクラブOB会
- 千葉ピコアンサンブル
- ラグビー部OB会
- 吟詠部OB会
- 山岳部OB会
- 碓井ゼミOB会
- さんぱち会
- 梶山ゼミ同窓会
- 簿記研究会
- 北九大46会・同期会
- S36・米英科卒の会
- S44年卒業米英科
- 吹奏楽団OB会(草創期)
- 空手道部
- 書道研究会
- フォーク&ナイツ合同OB会
- 英文学研究会OB会
- 体育会48卒同期
- 市橋ゼミ
- 北九州市立大学応援団OB会
- 陸上競技部OB・OG
- 山本哲也ゼミ
- 上海OB会
- ボクシング部OB会
- 紫英会(ESS OB、OG会)
- 浦野平三ゼミOB
- 中国大連同窓会
- ラテンアメリカ研究会
- 北九大関東46会
- ボクシング部OB会
- 放送研究会
- 商学研究会OB会
- 剣道部OB会
- 経営研究会 OB会
- 英文タイプ研究会OB会
- 昭和33年中国科卒
- 長崎支部OB会
- S38学友会執行部員
- 混声合唱団コール・ユーフォニー
- あの一球会(硬式庭球)
- 執行部OB会
- 硬式庭球部
- サッカー部OB会
- S44中国語科卒クラス会
- 重量挙OB会
- ソフトテニス部
- ワンダーフォーゲル部
- S44年卒業米英科
- 日豊会
- 剣道部OB会
- ISA九州支部
- 昭和1ケタの同窓会
- 38中国語科卒クラス会
- 少林寺拳法部
- 写真部OB会
- S40年卒 米英科
- S45卒業同期会
- 熊本県警察青嵐会
- 浦野恭平ゼミ会
- 徹空会近畿支部総会
- 商二期会
- 商学部三四会
- 関西支部同窓会
- 44年卒同窓会
- 卓球部OB会
- 26専中50年来クラス会
- S55年・56年卒合同同期会
52年ぶりの“同窓会” 昭和38年度の学友会執行部員
3年前、S38年度の学友会執行委員長の早川慧氏(S39・商)か
ら突然、「執行部の同窓会を世話してくれる者はいないか」とい
う葉書を貰いました。北友会会報に同窓会福山支部長として支
部報告をした文章を見られて私の名前を思い出されたようで
す。「私にやれ」と言われたと解釈し、その時、早川氏から連絡を
受けた旧執行部員の住所、氏名以外に私と親交のある旧執行部
員と連絡を取り、住所、氏名を聞いたり、同窓会本部に連絡して
住所、氏名を調べてもらったりしました。しかし、依然として住
所不明の仲間が現在でも半数近くあります。
当時、大学の非常勤講師として半分現役であったことと、他に
することが多く、すぐ同窓会を開催するに至りませんでした。今
年2月に完全退職し、やっと自由になったので2月17日に大分
支部の千綾奉文支部長(S43・商)、松岡長副支部長(S41・米英)、
有瀬正孝事務局長(S55・経済)}との交流会を兼ね、大分市内で
旧執行部員の泉谷長美(S40・中国)、長翁正臣(S41・商)、中原勝
英(S41・商)、甲斐正章(S41・商)の4氏と準備会を行い、第1回
の執行部の同窓会を4月19日(日)に開くことを決定した。
当日参加できたのは、上記の5人に加え幹事を務めた田中捷
次(S40・米英)に土師良一(S39・商)、北久保攻(39・商)、徳重芳久
(S41・商)、村重捷也(S39・商)の各氏で旧執行部員が11人。本部
から重留正弘幹事(S40・商)、地元開催としたので小倉支部より
進昭紘支部長(S40・商)、中川八重香評議員(S44・中国)の三氏を
お招きした。
連絡したうちで所用のため、参加できなかったのは松田省吉
(S39・商)、織田英雄(S39・商)の両氏であった。川添紘一(S40・米
英)、臼井元隆(S40・商)の両氏はすでに鬼籍に入られているこ
とが判明した。松山蕃(S39・米英)、山下(旧姓畝森)正文(S40・米
英)の両氏は体調不良で参加ができず残念であった。
午後3時から5時までは半世紀の空白を埋めるための話し合
いの時間を設けた。初対面なら打ち解けるのに多少の時間がか
かるが、すぐに学生時代の話に花が咲き、初めて知るような暴露
話も出たり、学生だったからできた様々のエピソードも次々と
披露され、大変和やかな雰囲気であった。同窓という絆は本当に
いいものだ、と改めて痛感した次第である。集合写真を撮り、物
故者を追悼、校歌(1,5番)を斉唱後、早川執行委員長、来賓の挨
拶、来賓を紹介し、儀式を終えて、懇親会(6時〜8時)に入った。
村重氏が現役時代の文化祭の時の写真を持ってきてくれた。当
時の水も滴る?紅顔の美青年たちも今や白髪のおじいちゃんた
ちへと変身、半世紀の時間の経過を感じざるを得なかった。最後
に逍遙歌(1,3,8番)を斉唱し、お開きとなった。
翌日は、変貌を遂げた母校を訪問、職員の案内で本館の一番高
いところから、北方を展望し、その発展ぶりに驚く。同窓会本部
で一休みし、本部職員と歓談後、学食で昼食。50年前は学食で食
事をすれば、1日千円で済ませる学生たちも沢山いたが、現在の
食事は品数も豊富で、おいしかった。ここでも時の流れを強く感
じた。
午後3時ころ、駅で解散、各自帰途に就く。来年も続いて「幹事
をやれ」との意見があり、認知症予防のため、記憶したり、緊張感
があるほうがいいと思って喜んで拝命する。
最後に39年〜41年卒の阿部、永松、橋本、小林、平尾、高田(いず
れも名前は不明)の各氏の方、この記事を読まれたら、この冊子
の後ろにある福山支部長の田中捷次までご連絡ください。来年
のご案内をいたします。念のため住所を書いておきます。
〒722−0055 広島県尾道市新高山2−2631−59 田中捷次
田中捷次(S40・米)
北友会会報第113号(平成27年12月25日発行)掲載