北九州市立大学同窓会

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S39年度学友会執行部OB会同窓会準備会及び広域支部交流会

 3年前、互いに音信のなかった表題の執行委員長であった早川慧氏(S39商卒)より突然、「執行部の同窓会の世話をしてくれる者はいないか。」 というはがきをもらった。北友会会報を見て、私が福山支部長をしていることを知り、連絡されたようだ。わたしに「やれ」という意味だと理解し、 支部活動で知り合った旧執行部員に当時の執行部員の住所、氏名を聞いたり、同窓会本部に名前を連絡し、 住所を調べてもらったりして執行部同窓会の準備を少しずつしていた。だが、半数ほどの執行部員の住所は不明のままである。 それに私自身がまだ仕事をしており、幹事をするだけの時間的余裕がなかった。
 今年2月の1週で完全退職し、自由になったので兵庫支部の永翁正臣副支部長(S41商卒、当時書記次長)、 小倉支部の中原勝英氏(同、情宣次長)、八幡支部の泉谷長美氏(S40中卒、外務部長)、福山支部の田中捷次(S40米卒、教務部長) の4名が大分支部の甲斐正章氏(S41商卒、外務次長)の住む豊後竹田に行くことにする。大分まで行くのは昨年の64回総会で、 支部活動のことで大分支部長の千綾奉文氏(S43商卒)と会うことを決めており、2月17日に3名とともに大分行きを決行。 まず豊後竹田に午後1時に到着する。50年振りの再会で、その間の空白を埋める話題や学生時代の思い出が駆け巡り、話題が尽きることがなかった。
 昼食を取り、甲斐君の車で竹田市内を案内してもらい、岡城址に行く。その実面積は100万uで、東京ドームの22個分に当たるとか。 2つの川の支流が合流する舌状台地に築かれ、川岸からそそり立つその姿は「難攻不落」といわれた天然の要塞で、日本一大きい山城であろう。 城内に滝廉太郎の像があり、竹田で少年時代を過ごし、荒れ果てた岡城址で遊んだ印象から「荒城の月」を作曲、発表している。岡城址を散策していると、 どこからか「荒城の月」のメロディーが聴こえる。城跡の崖下を通る国道502号は「メロディーロード」と呼ばれる特別舗装がしてあり、 車が法定速度で走行すると曲を奏でる仕掛けになっている。廃藩置県により城の建物がすべて取り壊しになったのは誠に残念だ。 城に関心のある方は是非訪れることをお勧めしたい。
 最後に甲斐君の経営する鳥インフルエンザを防止するための最新の鋼鉄製のウインドレス鶏舎を見学。従業員は58名。 まずコンピューター管理の6棟(長さ80m)の近代的鶏舎に目を奪われる。鶏舎には18万羽を飼養し、毎日15万個の鶏卵を出荷するとのこと。 更に7千頭の豚を飼育し、同様な施設で管理、経営している。その規模と近代的設備はビニールハウスのそれとは比較にならない立派なものである。 今後はシンガポールに鶏卵の輸出に乗り出す予定とのこと。西日本でトップクラスの施設の一つである。


ポートリー鶏舎(道路側より)

ポートリー鶏舎(手前3号棟)

 それから大分まで戻る。7時半より大分支部の千綾支部長、松岡長副支部長(S41米卒)、有瀬正孝事務局長(S55経卒)と会食。 河豚料理を堪能する。交流会の中で総会の出席者を増やす工夫は大変参考になった。情報を提供するよりも大分支部からもらったそれのほうがはるかに多く、 我々にとって有益になることが多かった。
 執行部同窓会は4月19日(日)に懇親会を開き、20日(月)に更なる変貌を遂げつつある50年振りの大学見学をして解散することに決める。
 17日は大分のホテルに宿泊、18日は高崎山と水族館を見物し、甲斐君は豊後竹田に、泉谷、中原の両名は北九州市に帰る。永翁、田中は別府にもう1泊し、 地獄めぐりを楽しみ、午後の電車で別府をあとにした。有益、且つ楽しい3日間であった。

文章責任 福山支部長 田中捷次

有瀬正孝(S55・経)、泉谷長美(S40・中)、中原勝英(S41・情宣)、松岡 長(S41・米)、 甲斐正章(S41・商)、田中捷次(S40・米)、永翁正臣(S41・商)、千綾奉文(S43・商)